2019年05月07日

保証成長率②

 先日の『日本人のおなまえっ❢』でゴールデンウィークの語源を紹介していたが、映画会社の大映が飛び石連休に代わる名前を考えた際出た黄金週間の案を英語に直してゴールデンウィークになったらしい。それはそれでいいとして、合わせて紹介されていた昭和𝟐𝟎年代当時の休日の過ごし方は、
寝る事;庭いじり;日曜大工;読書;ラジオ

が主流だったそう。

 昭和末期でも似たような状況だった。脅迫的にどこかへ行かないといけないと考えたり、その話題を耳にして他人が気になって仕方なく、感情の抑制ができなくなって休めない人間がどうこう騒ぎ出す嫌負障碍の一種とみられる人達の反発は割と最近の話ではある。画一的な環境に育ったりメディアや旅行業者の煽りに引っかかったり飛行機や新幹線が安く身近になって大衆化した事の影響なのかも知れない。私が小学生の頃はまだ飛行機に乗った事が無い人も多く、新幹線ですら珍しいようだった。地域によっても帰省先が近かったり車での移動が多かったりすると縁遠いし、途上にある場合は自然に入る選択肢ではあった。



 個人的には小学生の頃、五月の連休に特に旅行に行った事は記憶に無い。たいてい家で遊んでいたと思う。小𝟔の時は一日二日親戚の家に行っていたのがはっきりしている。中学以降は宿題と予習があって、連休明けに実力テストもあったもんだから実質休めない。なので特に連休だからどうこうという感覚は無い。部活で休めない学校もあるんじゃないかと思う。

 疑問に感じたのは、今年のような𝟏𝟎連休に否定的な人の中に、休み過ぎて仕事したくなるといった感想を漏らす人がニュースでちらほら紹介されていた事。する事無いなら勉強すれば良いのにと思う。どんな職種であれ、その道の第一人者と言えるほどの情報量を持っている人はそうそういないはずで、業務上の義務でなくてもその気になればやる事は山ほどあるように思うが。休みたい事はあっても休み過ぎてする事無いは有り得ないだろう。そういう人は働き方改革で普段の業務量を減らして早めに終わらした分、何か別の事をやってみるといった発想も無いかも知れない。するとめいいっぱい予定を詰め込んで余裕の無い状態にする事が仕事をする事だという発想になって気づけば時代後れな組織になっていたり、余裕が無く柔軟性に欠けたりと、負の連鎖に陥りかねないので怖い。自由な放課後や隙間の時間の使い方は小学生の時点で既に大きな差が出ているが、こういった発想の違いも縦の方言とは言えるし、何をするかより誰とするかが重要だという話にもなってくる。

posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 06:10| 東京 ☁| 社会科 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする