2019年02月02日

はたらく乗物

 先日𝐓𝐕𝐊テレビ神奈川で京浜急行の駅名が𝟒つ変わるという話をしていたので「なんでわざわざ?」と思いつつ公式サイㇳで確認したら、確かに出ていた。

沿線地域の活性化を目的に2020年3月 4駅の駅名を変更します
「産業道路駅」→「大師橋駅」「花月園前駅」→「花月総持寺駅」「仲木戸駅」→「京急東神奈川駅」「新逗子駅」→「逗子・葉山駅」


 𝟐𝟎𝟐𝟎年﹦新元号𝟐年𝟑月らしい。五輪に合わせたのだろうが、別に五輪とは何の関係も無い(笑) 神奈川県の一部会場で競技は行われるものの、競技や観光と無関係な新市庁舎建造まで五輪を目標に張り切っていたりする。誰もそんな事気にしないと思う。観光客が喜ぶのは歴史的な建物とか奇抜な建物になるので、むしろ古い庁舎を壊さずに使っていたり、いかにも和風で外国には無いような建物の方が注目される。実際、私もブリュッセルやロンドンで最高裁判所の建物には行ってきた。ロンドンのは確か観光ガイドに載っていたと思う。今はどうかわからないが昔は部外者でも簡単に入れた。日本の最高裁よりずっと敷居が低い。ブリュッセルの方は現地の宿で知り合った人が建築に興味を持って各地をまわっており、ネオクラシカル様式の建物として知られていると勧めてくれたので散歩ついでに寄ってみた。こちらも特に障害無くあっさり入れた。日本では東京地裁と横浜地裁には行った事がある。役所関係は𝟏𝟗𝟗𝟑年﹦平成𝟓年ごろに新宿移転後の東京都庁の傍まで車で行ったが、中には入らなかった。有楽甼時代のは行った事が無いと思う。他は用事で地元の県庁;市役所;区役所に行った已外だと散歩がてら横浜市の各区役所まで行った程度だろうか。まだあと𝟑つほど残っている。夏場は役所や公民館をトイレ;給水;冷却地点としても利用している。都会は「道の駅」なるものが無いし、駅周辺は無料で自転車を止める場所が無かったり建物から遠かったりするのであまり役に立たない。地方も含めて私はまだ「道の駅」を利用した事が無い。昔はそんな物無かったと思う。

 そう言えば先日、高速道路での話題も出ていた。

新東名の一部区間、最高速度120キロに引き上げへ


 𝟖𝟎㎞∕時が普通だが、私は車に乗る機会が無いのでまぁ関係無い。高速バスにでも乗ればと思ったが大型は関係無いよう。子供のころは車に乗る機会が多かったが、取り締まりは今より緩かったので両親とも𝟏𝟐𝟎㎞∕時なんて普通に超えていた。𝟏𝟖𝟎㎞∕時超えてメーター振り切っていた事も何度もある。キンコンキンコンと音が鳴る。しかもシーㇳベ𛃻ㇳなんてしていない。チャイ𛃻ドゥシーㇳなんてまだ無い。実は法定速度が𝟖𝟎㎞∕時だと意識するようになったのは中学以降なんじゃないかと思う。シーㇳベ𛃻ㇳをするようになったのは義務化されてからだろう。

 超過速度常習者と言っても別にスポーツカーだったわけではなく普通のトヨタのㇲプリンター。次はトヨタじゃなかったのは知っているが車種までは知らない。𝟐台目の時は野ざらしだったので冬はエンジンの掛かりが悪い事もあった。ちょうどこれを書いた𝟎𝟐月𝟎𝟏日は関東地方で中学入試が多く開催される日だが、私の中学入試は𝟏月半ばで、当日、車のエンジンが掛からず親が焦っていたら駐車場の目の前に住んでいた全然知らないおじいさんがお湯を持って来てくれた。結局その𝟑年ほどのちに壊れて、𝟑台目がカローラだった。値切りに値切って当時まだ選択式だったパワステ;パワーヰンドウ込みで𝟏𝟎𝟔万とかそれくらいだったと思う(笑) もちろん新車。

 車に興味を持った事は幼児期のお約束程度にしかないので車種はほとんど知らない。𝐂𝐌で耳にする名前程度。実際に見て車種を当てる事はほぼできない。自動車は「憧れ」とか「楽しみ」ではなく「単なる足」という世代;環境だとこの程度。知り合いで車が好きだったと知っているのは小𝟐の時に一人と中𝟏の時に一人。前者は父親が車が好きだった事から興味を持ったと言っていた。一度乗せてもらった事があるが、速度がデジタル表示だったのが良いなと思った記憶がある。車種までは知らない。彼はトランスフォーマーの中でも車に変形する物ばかりを集めていた。後者も父親が経営者で仕事柄自動車が身近な環境だった事で自然と興味を持った事は言っていた。親の影響は少なからずあるのかも知れない。うちは壊れるまで乗るのが基本だったが、同級生の中には車検のたびに車を更えている家もあった。物心着いてからずっと同じ車だったので、車が更わるという事が新鮮だった。そういう家庭ならもう少し車種は記憶しているかも知れない。車を持っていない友達や隣近所もいた。旦那さんが電車通勤で奥さんが免許を持っていないとほとんど使わないという事で。分譲住宅地の場合、車を持たないとそのスペースが遊び場になったりその分家を広くしていたりするので、良いなと思ったりもした。うちは元々車庫なしだったのを基礎に穴掘ってあとから造ったと言っていたのでそれで敷地が狭くなったわけではないが、車庫の上は花檀と藤棚だったので家がその分広くなっていた訳でもなかった。

 田舎へ行くと車なしでは生活できない事もあって、車は身近ではあるが、やはり「単なる足」の感覚は変わらなかったように思う。足の種類が増える程度で。お盆やお正月に親戚が集まると車が何台も停まっていたりして、初詣や旅行など複数台で移動する場合は自分ん家已外の車に乗ったりもした。しかし車種までは全然おぼえていない。クラウンだけおぼえている。行事や外交用でほとんど乗っていなかったらしい。普段は軽とかミニの普通車。仕事や山とか田んぼに行く時はトラックや軽トラ。土を動かす時はショベルカー、耕したり移動させたりする時はトラクター。田植え機もある。いろいろ乗った。車でなくてもちょっと畑の様子を見に行く程度ならカブ。近所に買い物なら自転車……いろいろな乗り物が置いてあって、その時の目的や用途によって選ぶ。こういう、用途による使い分けというのは環境や経験が大きく左右するのかな?と大人になってから感じるようになった。嫌負障碍にみられるような感情的優劣を避けられない仕様の人や、元々無くてそれが必須だったり憧れや目標になっている第一世代型の人はまた別だが、そうでなければ選択肢を与えて使い分けるという経験で視野がひろがったり発想が柔軟になったり情報処理に有利に働いたりするのかも知れない。それしか無い𝐨𝐧𝐥𝐲 𝐨𝐧𝐞なのか状況による𝐨𝐧𝐞 𝐨𝐟 𝐭𝐡𝐞𝐦なのかの違いは思考の出発点で既に包含関係が発生している。「高級車だからそれに乗る、高級車に乗っていないのはそれが持てないからだ」とか「自転車やバイクに乗っているのは免許を持っていないからに違いない」といった視点では私が身近に体験した運用環境は絶対に想像がつかないし、ハーディーの論証に陥る可能性も高いだろうと感じる。

 私は自転車でも小学生の一時期家に𝟒台在って、普段は誕生日に買ってもらったお気に入りの自分の自転車を使っていたが、その日の気分でたまに違う自転車で遊びに出かけたりもしていた。うち𝟐台は別に必要があって買ってきたわけではない。親戚が新しく自転車を買ったり乗っていなかったりしてまわってきたからなんとなく置いてあっただけ。今でも納屋に使っていない自転車が𝟑台くらいある。こういう、「なぜか知らないが置いてある」とか「特に用があるわけではないがなんとなくある」というのも、当たり前に感じる人ばかりではない。「必要になったら買う、必要にならなければ買わない」「いらない物は売るか捨てる」というのが当たり前の環境で育つと、理由も無いのに持っている;存在しているという発想ができなかったり理解できなかったりする人が出てくる。あるいは全てをお金との関係でしか理解できず、売らないのはもったいないとか反動的に売るのは卑しいとか、コㇲㇳと考える人もいる。コㇲㇳというのは商売をすると在庫という形でマイナスの資産になったりするところから来る発想だが、家庭内に置いてある物で維持費がかからなかったり納税の対象にならない場合は、別に置いてあるだけではコㇲㇳにならないのでそういった話には注意がいる。部屋が狭くなる場合はあるだろうが、家が広かったりあるいは普段の利用範囲内では空間的に障害になるような場所や大きさでなければ狭くもならない。自分で考える習慣を身に着けずに大人になってから仕事で暗記した知識だけを使って数字を動かすとこういう初歩的な違いに気づかないのだろうか?と「専門家」のコㇲㇳの話で驚いたことがある。年を取って子供ももう住んでいないので断捨離を考えるというのは一つの手段だとは思うが、子供が小さいうちはいろいろな物を目にしたり触ったりできる機会があった方が、それだけで情報処理教育になると思う。ただ、「走り回れる空間」も子供にとっては重要なので、その両立が可能な環境が今の日本ではどんどん減っている、また重視もされていないというのはもったいないとは思う。

 乗り物を電車に戻すが、ちょうど𝟎𝟐月𝟎𝟏日朝読んだ記事では、京急が駅名変更を募集したのは𝟒駅だけではないらしい。

市川紗椰が京浜急行の新駅名募集に「高輪ゲートウェイの悲劇を繰り返さないために......」


 まぁ、要するに子供に関心を持ってもらおうという催しなのだろう。ニュースでは実際に子供が駅名を考える様子を紹介していたが、子供と言っても鉄オタなので割と真面目だった。私なら


𝐘𝐑𝐏野比駅➝のび太駅
横浜駅➝お子様駅
六浦駅➝ツムラ駅
生麦駅➝生姜駅
雑色駅➝阿賴耶識駅
杉田駅➝過ギタ駅
品川駅➝首切場駅
産業道路駅➝今北産業駅
京急富岡駅➝マイケル富岡駅
上大岡駅➝神オーカ駅
金沢文庫駅➝金沢ん庫駅
金沢八景駅➝金沢𝟖𝐊駅
大鳥居駅➝オードリー駅
梅屋敷駅➝ゴミ屋敷駅
安針塚駅➝ヰ𛃶アㇺ駅
泉岳寺駅➝腹切駅


辺りにでもするが(笑) 半分冗談だが、六浦や八景や上大岡は実際のところ、発音はムツーラ;ハッケー;カミオーカだったりする。年少〜年中くらいのころ私も京浜地区の駅名をおぼえた時期はあったが、漢字はまだ読めないのでひらがなを見てそれを声に出したり、大人が言っている言葉を耳で聞き取っておぼえていったので、カミオーカが実は上大岡という表記だったと知ったのは高校出たあとだった。他の地名や駅名もそうだが、小さいころ記憶したものは音でおぼえている事が多いので、久しぶりに耳にすると懐かしい響きに感じるし、漢字表記を目にするとこう書くのかと新鮮だったりもする。グミョージとかジンムジとかシンズシとかハッチョウナワテ等も。保土ヶ谷も最初読めないと思ったが、読み方を知るとなんだホドガヤの事かと一気に珍しさが消え失せた。

 上の記事では高輪たかなわゲートウェイ駅の話題もしているのでついでに触れておこう。駅名募集をしていたのは知っていたが、私は泉岳寺の傍なので泉岳寺駅と一緒でいいよと思った程度で、サイㇳは見たが応募はしなかったと思う。どうせ何十万も集まるだろうから自分が考えそうな事はわざわざ個人情報を寄付しなくても他人が代わりに応募してくれるだろうし、𝟏票しかない特異な名前はまず選ばれる事は無いし、選ばれるような名前は得票数𝟏位でなくても多数だから特典はさらに抽選になる。大して魅力的な行事には思えなかった。

 高輪ゲートウェイ駅に決まったニュースを知った時は「ダサッ」とは思ったが、一部で猛反発が出ているらしい。私は地元じゃないので利用する事もないし、商標の関係なのかな?程度に納得はしたが。最初からゲートウェイが使われる予兆はあったとの話だが、他にもアメリカがすばらしいとか英語がカッコイイという厨二病世代が指導者層な時代ではあるし、視認性の問題から「高輪」「ゲートヱイ」「駅」と漢字カタカナ漢字にならぶ事が望ましいと思ったのかも知れないし、外国人向けに英語を含むカタカナ表記の名前を入れたいと思ったのかも知れないし、ひょっとしたら電算処理上の都合で漢字とカタカナの組み合わせが都合好かったのかも知れない。パソコン上で大量のデータを対象に検索や置換をやっていると解るが、必要な表現や固有名詞を抽出する際に、地の文といかに区別するかが問題となってくる。例えば高輪駅とか高輪とした場合、駅名というたった𝟏万ほどしかない範囲でさえ、白金高輪や高輪台と一部がかぶって、その分区別のための記号をつけることになる。ゲートウェイを間に入れると他の一般的な語彙も含めて区別はしやすい。

 とりあえずゲートウェイと言うからには、駅舎は🐄模様にして欲しい(笑)
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 16:43| 東京 ☀| 社会科 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする