2018年09月21日

「らしさ」をめぐるお話⑧

 どういう順序で書こうか考えていたら時間が無くなってしまったのでとりあえず前回の落描きより少しあとに描いたもの数点にだけ触れる。

 話題にするのは年賀状のデザインを全て独自に考えるようになってからのもの。干支に関連した内容にしていた。最初のキッカケは親に頼まれて何か描いてと言われたので参考になる絵をみてそれを改造した、それが申年向けのものだった。その後何年か経ってゲイムのキャラクターを写すネタが無くなってきたので自分で考え始めて羽根突きの板と羽を持たせた猪を描いた。だから𝟑年後なのだろう。その後受験で年賀状を描かなかった年を除いて毎年描いていたが、現物は年が変わったら捨てていたので何点かはもう残っていない。もし私からの年賀状をまだ持っている人がいたらそれが数少ない現存物になる。年賀状は一般的に捨てる方が多いのか残す方が多いのか知らないが。私はそれほどたくさんもらっていなかったので置き場所に困るわけでもない事から小𝟑以降のもらった年賀状は全て残っている。

 自分で考えた物で残っているのは数点で、巳年だとこう。

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 これも塗り絵はしてあるが背景は空白で塗り潰してはいない。手書きの年賀状で背景を全部塗り潰して白抜き文字にするというのはある意味斬新かも知れない(笑) 今度機会があればやってみようか。

 試作品はこうなっていた。

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 あくまで試作のラフ画なので大雑把にしか塗っていない為、塗るべき箇所も空白が所々にある。状況次第で使い分けるだけの事でこれも塗り絵の習慣とは関係無い。そして、試作だと言わなければ、完成品として見せればこういう塗り方の絵なんだと他人には感じられるし、わからない。

 赤い線は今回の説明用に入れた物で、直線になっている。弦楽器に糸をピンと張れば、本来直線にならないといけないはずなのに、絵では棹が曲がっている。楽器の絵を描いてみて気付いた事だが、楽器は意外と描くのが難しいし錯角を利用しにくい。人間の認知の仕方は別の情報で補正を行っている事が多いので、「へのへのもへじ」や「丸書いてちょん」でも各パーツがそれらしき位置に在れば自動的に人間の顔として認識してくれる。顔でなくても日常的に目にしている景色や道具であれば必ずしも寸分違わぬ正確性は必要無い。だからこそ写真ではない絵画が成り立つし、トリックアートのような事もできる。しかし弦楽器の場合、離れた𝟐点を結ぶ弦を直線で結ぶ手前、正確に描かないと全体が崩れて不自然に見えたりする。なので弦をあいまいに描かないと大雑把に見せる事ができない。いっそ、弦を描かないという手法もあるが、そうなると弦楽器に見えにくい。大雑把に描くのが意外と難しい。このケースでは構図の関係上、少し曲線に描いた方が自然かなと思ったが、実際に描いてみるとこの弦の描き方が問題になってきて、そこに苦労した。最終的に試作品より完成品の方が曲がり具合は浅くなっている。微妙な塩梅だがけっこう違いが目立つ。

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 同様に午年だがこれは短いのと弦が𝟐本なので問題にはならなかった。この絵では決定稿状態でも完全に塗り潰してはいない。そういう雰囲気の方が良いと感じたから。それだけ。塗り絵の影響は無い。

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 未年に関しては弦が直線だが、この絵は見た目のファンタジーさと裏腹にけっこう計画的で手の込んだ事をしている。お絵かきというよりは芸術に近い。そして、見る人によって印象が異なる場合が出てくる仕掛けもある。この当時は実際に年賀状で出したのがほんの数枚だったと思うのでそこまでする必要は無いのだが、年に𝟏回のお絵かきの時間なので個人的な満足の為に作ったという意味合いの方が大きい(笑)
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 23:59| 図工 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする