2018年09月17日

「らしさ」をめぐるお話④

 ブログにログインしてなかったのでその作業をして読み込んでいるうちに日を跨いでしまった。まぁしょうがない。

 しょうがないついでに「らしさ」をめぐるお話の続きで短く終わってしまう話を先にしておく。着飾った母親を描き余白を塗り潰すのがウソの始まりで、幼児期にそのようなことをして過ごせば小𝟒のころには写生が苦手になり、思春期には美術と無縁になるという善知鳥さんのお話を紹介した。その点に関して𝟏𝟕世紀ごろのフランドルかオランダの風景画で面白い物があるので画像をネットで探そうと思ったが、作者の名前も作品の名前も対象になった町の名前も思い出せなくて困っている。多分メモしてあるはずだがそれも見当たらないし、長年目にした記憶が無い。恐らく捨ててはいないと思うのでまた探してみる。

 内容は風景画で町の景色を描いている。色は濃淡あるが、全て何かしらの色で塗り潰されている。西洋絵画は基本的に塗り潰しの芸術なので。余白を残すのは日本の特徴で、それは中国の山水画の影響だろう。これが特殊で必ずしも知られていないのは、アニメ『かぐや姫の物語』がアカデミー賞のアニメ作品部門にノミネートされたさい、審査員も戸惑った事を吐露していた点で判る。日本人であの作品を見て、好き嫌いはともかく端まで全て明確に描かれて彩色されているわけではない様子自体に違和感を覚えた人はそう多くないんじゃないかと思う。それくらい文化が違うし、その違いが知られていない。

 私が念頭に置いているその風景画作品はウソがある。町の景色ではあるが、本来その方向には見えず、別の方向を見ないと目に入らない建物が写り込んでいる。これは、画面に収まらなかったので無理矢理持って来た事による辻褄合わせ。トリック。つまりウソ。しかし美術作品であり、写実的な風景画。画面を塗り潰してウソを描いても写実的美術作品は描けるしそういう商売をしている画家もいた、詰まり美術と無縁にはならなかったという一例。名前が判ったらまた紹介する。

posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 01:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする