2018年09月02日

「ごきげんよう」と「じゃあね」と「ばいばい」

 猛烈な台風𝟏𝟖𝟐𝟏号제비チェービーは勢力をやや落としているがそれでも暴風域を伴って𝟒日〜𝟓日にかけて𝟐𝟒時間で一気に列島を縦断する事になるらしい。

 似たような勢力で接近する台風として大型で非常に強い台風𝟎𝟒𝟏𝟖号Sông Đàソングダーが紹介されていたので確認してみると𝟐𝟎𝟎𝟒年﹦平成𝟏𝟔年𝟎𝟗月𝟎𝟕日長崎県南部長崎市付近に𝟗𝟒𝟓㍱最大風速𝟒𝟎㎧で上陸となっていた。

 毎年のようにどこかしらで台風やら大雨やらあるので過ぎてしまうと忘れる。その当時どんな状況だったのだろう?と日記を確認してみたが、𝟐𝟎𝟎𝟒年﹦平成𝟏𝟔年𝟎𝟗月𝟎𝟕日の日記に台風の話は一つも出ていなかった。つまり当時私がいた地域ではそれほど大した影響は無かったという事だろう。

 その日話題にしていたのは方言についてだったが、ちょうど今朝ツイッターで「﹟関西人が標準語だと思っている言葉」という話題があってなんとなく読んでみた。話題としては共通する部分もあるのでちょっと引っ張ってみる。当時はまだ単語登録をほとんどしていなかったので表記は一般的なもので、人名に関しては一応伏せてあるがさらに変更しておく。文体はそのまま。


 ㋐の日記で、「おっさん」という関西弁が出てきた。


 住職のことを指して、発音は[Ossan]と平調子ではなく、[Óssan]と
前にアクセントがくる・・・らしい。


 んな言葉、初めて聞いたよ。


 私は㋐と同じ行政区に10年ほど住んだが、聞いたことがない。私が知らない
だけなのか、㋐の地区特有なのか。一応祖父の家は江戸時代からあるお寺が近所にあってその檀家としての付き合いも長く、法事の時も家で一緒に飲み食いはしていたし、私も小学校のころ、同級生に室町ごろからあるらしい古いお寺の子がいて仲がよかったからよくお寺にも遊びに行ったが、そういう言葉を耳にした記憶もない。多分彼も将来的には「おっさん」になるんだろう。

 ひょっとしたら普通に使われているのを私が意識して耳にしたことがないだけなのだろうか?

 まあ私はあそこの言葉には苦労したし、10年経っても「~弁でしゃべってくれやんと意思の疎通が出来へん」と好きな人からきっぱり言われたくらいだし(笑) はっきり言って自信はない。方言のテストと敬語のテストだったら敬語のテストの方が点数高いかもしれん。

 関西に移る前も休暇中に遊びに行っていたころは、当然親戚の話す現地語を耳にはしていたし祖父が「アカン」って言っていたりとか「まいどーおおきに~」って酒屋さんが入ってきていたのは覚えている。まあ、逆に言えばそれくらいしか記憶にないんだけど。現地に引っ越して「アカン」が会話の中で意識せず言えるようになるまで2年くらいかかったな。中学以降も初めて聞く言葉がたまにあった気がする。

 ただ、関西弁と一口に言っても都市部ですら京都弁、大阪弁、神戸弁は違うし、1つの府県の中でも場所によって言葉の使い方はけっこう違ったりする。多分他の地方でもそうだし、他の国でも同様だろう。首都圏は地方からの上京者が多いからだいぶ均一化しているが、やっぱり古くからある町では微妙に違うようだ。

 そういや、同じ首都圏でも、私が標準語だと思っていたような言葉ですらやっぱり認識は違うようだ。昔住んでいた地域では「君(きみ)」という言い方を普通にしていた。地方の人で「標準語がきどっている」と言う時に槍玉に上がる言葉の1つだが、大学の時に生まれてこの方東京~埼玉近辺にしか住んだことないという人も、「君」という言い方に対して同様の印象を持っていた。もっと一般的な例だとそれこそ敬語だろう。敬語も私が生まれ育った所では完璧ではないにしろ違和感なく身の回りで存在していたし、標準語としてさまざまな場面で模範とされているものにかなり近い。標準語は元々東京の武家屋敷の多かった山の手の言葉らしいので、当然地方の人間にとってはそこでの言葉を覚えるというのは不利なのだが、一般的に標準語を喋っていると思われる地域でも敬語を喋れない人はわんさかいるので、やっぱり地域差があるらしい。逆に横浜で使われていた「じゃん」などはここ20年くらいの間に標準語の中に溶け込んじゃったような気はする。


 昔言葉の違いでなかなか感覚の修正ができなかったのがいくつかあって、今となってはだいぶ忘れているけど、「ほる」などが思い出される。

 関東では「ほる」といえば「放り投げる」という感覚で覚えていたのに、関西では「捨てる」という意味でも使われていた。「ほかす」という言葉もある。「ほる」と「ほかす」が全く同義なのか微妙に違うかはよく分からない。

 あと、「殴る」「叩く」という言葉よりも「どつく」「しばく」という言葉が使われる。これも正確な対応はよく分からない。その場の状況で何となく覚えた言葉。㋑によれば「どつく」より「しばく」の方が痛いらしい。ナイトスクープでも「しばく」が一番痛いようなことを言っていた。「どつきまわす」「しばきまわす」みたいな言い方もあるけど、これも強調系なのか今ひとつ分からない。とりあえず大事なのは相手が怒ってて身の危険を感じなくてはいけないということだろう(笑)

 そういえば「やかましわ」「しんどいわ」と語尾に「わ」が使われたりもするが、これも最初は「~だわ」みたいに女性言葉に聞こえて気持ちが悪かった記憶がある。

 最初に感じたことって、慣れるとどんどん忘れちゃうからなぁ。また思い出したら書こ。


 方言の話題は日記で過去に何回もしているのでもっと細かい話も探せば出てくるだろうが面倒なのでまた追々。なお、ここでの方言は地域差で生じる「横の方言」の話ばかり。

 いくらか補足しておくが、住職を意味する「おっさん」に関してはこののち一度も知る機会が無い。今回久しぶりに当時の日記を読んで「そう言えばそんな話あったな」と思った程度。

 𝟏𝟎年経っても〇〇弁で喋ってくれないと意思の疎通ができない旨を宣告されていたという話は、その人が怒った時だった。言葉が違うという事はたまに言われる機会があったので慣れていたが、一度もそういう話をしなかった人が機嫌を損ねて咄嗟に出た文句がそこに行き着いたというのは、それだけ普段から違和感か劣等感を感じて我慢していたという事なのかも知れない。学校生活において、少し違うけど出身はどこか?という質問を受けた事は何度もあったが、言葉の違いに関して苦情やイジメを受けた経験は一度も無かったので、面と向かって否定したのはその人が最初で最後。他に余所のクラスで物真似をして茶化している所へ偶然出くわした事が小𝟓の時一度あった程度。

 最後に言われた数年後、東京で一部の人達が同窓会的に集まって飲んでいた時も、途中で突然「同級生ばかりなんだから東京弁使わず地元の言葉で話そうぜ」といった趣旨の事を言い出した人がいたが、私はその場でそれまで飛び交っていた言葉が方言だったのか標準語だったのか全く意識しておらず、言われて初めてそう感じている人がいた事を知った。それだけ感覚に違いがあったという事になる。しかしそう言われるとかえって喋り辛い。地元に帰って地元の人と喋れば地元の言葉に自然と切り替わると親は言っていたが、私の場合は「地元の言葉」なのかよくわからないし、最後の年に近い仲の人から批難されたのだから、私が喋ったつもりでもそれは現地人からすれば違うのだろう。ある程度意識的に喋る必要が出てくる。しかし日本語と英語みたいに極端に違う言語ではないので意識的に喋り通すのは難しい。違うと指摘されるのは思ってもいなかった場面だったりする。意思の疎通が取れないと言われた時も結局直前に喋っていたどの表現に問題があったのかは不明のまま。あとで確認もしたが、普段から違うと感じていた事はかろうじて教えてもらえたものの、具体的な事は教えてくれなかった。

 具体的な事例で面白かったのは、𝟒年目にして初めて指摘されて知った別れの挨拶。ネットやテレヴィで標準語と方言、特に関西弁との違いはたまに話題になっている割にこの点はなかなか耳にしないと感じるが、学校の帰りに友達と別れる際の言葉が違った。何気なく「じゃあね」と言ったら、それが大阪の人には大層面白かったらしい。じゃあ何て言うの?と訊いたら「ばいばい」だと。関東でも「ばいばい」は言う。「じゃあ」「じゃあね」「じゃあな」「じゃあまた」「またね」「ばいばい」……どれでも構わない。今の子供でもそうだと思う。しかし関西で「じゃあ」系は使わないらしい。言われてみたら聞かないような気もするが、それまで気にした事が無かったし、指摘された事も無かった。指摘したその子は「じゃあな」が気に入ったらしく、その後しばしば使っていた。

 「縦の方言」に関しては端的に違いを表せる言葉をまだ見出していないが、「横の方言」に関してはこの言葉の違いが便利だなとのちに感じるようになった。私が日本語を身につける過程で経験した言葉の世界は大きく分けると「ごきげんよう」の世界と「じゃあね」の世界と「ばいばい」の世界になる。それぞれ雰囲気が違う。語彙の違いよりも雰囲気の違いの方が印象深い。

 「ごきげんよう」と関係するのが次の、一般に標準語が話されている地域とみなされている首都圏でも言葉が違うという話。「君」は「ごきげんよう」の世界でも「じゃあね」の世界でも使われていた。少なくとも私の育った地域では。今の子供がどうなのかは知らない。私は「君」とか「君達」と呼ばれても違和感は感じない。逆に違和感を感じる人達はドラマ;漫画の台詞や歌の歌詞を聞いた時どう思っているのだろう?調べた事は無いが、けっこう「君」という表現は出てきているように思う。𝟐〜𝟑年前に『君の名は』という映画も流行っていた。舞台は岐阜県飛驒地方の架空の村だったが、あの辺は「君」と言うのだろうか?と気にはなった。関西だと『アンタの名は』でもいけそうだ(笑)

 「ごきげんよう」に関してはさすがに関東でも限られているのでもう長らく口にしていない。しかし言われても気にならない。大使館主催の演奏会に行ったさい、その手の言葉を喋る集団がいたが、言葉の雰囲気に関しては懐かしいと感じた。内容は詰まらないものだった。嫌味と取られる事もあるので普段使わないが、接頭辞に「お」がつく量も通常より多い。紅茶でなくお紅茶。医者ではなくお医者様。「お」を付けないと怒られた。そこでこういう話が出てくる。なぜ「おコーヒー」とは言わないのか?語呂が悪いからだろう。おコーラともおラムネとも言わない。けっこういいかげん。と言ってもそもそも炭酸飲料やジュース自体が「避けるべき物」扱いだったが。

 大人が口にする敬語もほとんど教科書に近い形で飛び交っていて、それを人生の初期に耳にして育っている所為か、不思議な事にその後「じゃあね」や「ばいばい」の世界で長らく過ごして無縁だったにも関わらず、中学の現代口語文法や就職活動では全く苦労した事が無かった。中学の𝟏年か𝟐年の時に口語文法を扱った際は「普通こう言うよな」と思い出す感覚で全て対処できて全く文法を気にする必要が無いし暗記もいらない。その点は方言を使っていた周囲よりも有利だったと感じる。英語圏からの帰国子女みたいなもの。しかし関東にいながら標準語文法の授業で書けない;喋れない;暗記しないといけないと苦労する人がいるのはちょっとどうかとも感じる。それまでの人生𝟏𝟎数年の家庭環境;教育環境の集大成がその結果だったという事になる。

 方言が当たり前の世界や標準語圏でありながらちゃんと身につけられなかった人達は中学や高校受験、あるいは就活以降の世界で身につけていく事になるのだろうが、そうなると外国語を覚えるようなもので、方言話者が言う「地元の言葉」ではない感覚になってくるらしい。そこは「ごきげんよう」の世界と違うよう。私は別に敬語だらけでも、少なくとも言語表現においては堅苦しいと感じない。その点では「ネイティヴ」的なのかも知れない。むしろ面倒なのが部活敬語。標準敬語とも言えない中途半端な先輩後輩間独特の方言敬語に違和感がある。「~っス」と丁寧語を崩した語尾が特徴的。あれなら標準敬語を話した方が楽と感じるが、大人ならともかく学生同士の会話で標準敬語は私の時代にあっては不自然だった。結果自分でもよくわからない変な日本語になっていた。先輩に向かって敬語を話さないと最初に驚かれたが、私からすると部活敬語の方が「こんな無茶苦茶な日本語喋れるか」といった印象なので感覚は全く異なっていた事になる。

 関西弁の「ほる」に関しては最初だけ。一度解ってしまえばよく使う表現なので前後の状況からすぐに意味は解るようになる。ただ、咄嗟の感覚として時差があったり自分からは口に出なかったりはした。遠くにいる人に処置を訊ねたら「ほって」と言うので投げたら実は私の目の前にあるゴミ箱に捨ててくれという意味だったという事はあった(笑)

 「しばく」に関しては語源が気になったので調べた事もあるがよくわからなかった。本来は鞭で打ったりする事らしいので、「柴を食う」という意味なのかも知れないとは思った。柴は昔、鞭や罪人を縛る際の縄の材料として使われていたらしいので。しかし先ほどググってみると『日本国語大辞典』では「撓[しわ]る」が語源と説明しているらしいブログ記事が𝟏つ見つかった。[w]から[b]への交替というのは起こる事があるのだろうか?考えた事が無かった。[b]から[w]へはその方が楽なので解る。𝐂𝐮𝐛𝐚はスペイン語だと[クーバ]だが、現地人は[クーワ]と言っている。

 「しわる」説が正しいのなら「しばく」は漢字で書くと「撓く」なのだろう。「しなる」も漢字で「撓る」と書くのでこれも慣れるまで少し混乱しそうだ。

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posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 23:56| 国語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする