2018年07月31日

誰がやったかわからぬが……﹙歴史①﹚

 今朝けさこういった記事きじにした。

ビートルズ、“In My Life”の作曲者さっきょくしゃについて統計学とうけいがく使つかって分析ぶんせきした研究けんきゅう結果けっか発表はっぴょう


 ビートルズが𝟏𝟗𝟔𝟓ねん昭和しょうわ𝟒𝟎ねん発表はっぴょうした曲集に収録されている❝𝐈𝐧 イン𝐌𝐲 マイ𝐋𝐢𝐟𝐞ライフ❞という楽曲がっきょくは、ジョン・レノンが作曲さっきょくしたものなのか、ポール・マッカートニーが作曲さっきょくしたものなのかで以前いぜんから論争ろんそうがあるらしい。

 ザ・ビートルズは𝟐𝟎世紀にじっせいき後半こうはんのロック音楽おんがく欧米おうべいのポピュラー音楽おんがくおおきな影響えいきょうを与えたロックの楽団がくだんのことだが、わたしにとっては「学校がっこう音楽おんがく時間じかんならった」程度ていど印象いんしょうしかなく、あとはテレヴィや雑誌ざっし特集とくしゅう多少たしょう目にしたことがある程度ていどにしか知らない。なのでこのきょく作曲者さっきょくしゃだれなのかということかんして一言ひとこと程度ていどにさえ個人こじんてき意見いけんを述べるほどの情報じょうほうかんがえはい。そのすじ人達ひとたち議論ぎろんまかせる。

 気になったのは今回こんかい統計学とうけいがくてき分析ぶんせきおこなったというその分析ぶんせき手法しゅほう概要がいよう。これは場合ばあいによってはデマを発生はっせいさせるとき情報じょうほう処理しょりかさなってくる注意ちゅういのいる過程かていなのでその点についてれる。

 記事きじによれば

研究けんきゅうは1962年か1966年にかけてかれたザ・ビートルズの楽曲がっきょくにおけるコーラスの周波数しゅうはすうやコード進行しんこう楽譜がくふなどを分析ぶんせきしたもの


だそう。そして

分析ぶんせき結果けっか、ポール・マッカートニーのいたザ・ビートルズの楽曲がっきょく複雑ふくざつ変化へんかするものがおお一方いっぽうで、ジョン・レノンの楽曲がっきょくはほとんど変化へんかがないことがあきらかになった


という。レノンのきょくは❝𝐇𝐞𝐥𝐩ヘルプ❞のように「ほとんどおなおとかえしとどまっており、おとはわずかにしか変化へんかし」ない、一方いっぽう、マッカートニーのきょくは❝𝐌𝐢𝐜𝐡𝐞𝐥𝐥𝐞ミッシェル❞のように「ピッチにかんしてえば、至るところで変化へんかし」ているそうで、ゆえに❝𝐈𝐧 イン𝐌𝐲 マイ𝐋𝐢𝐟𝐞ライフ❞はかなりの高確率こうかくりつでレノン作曲さっきょくだとしている。どういう楽曲がっきょくかは記事きじのリンク先に津辺の動画どうがってある。

 問題もんだいとなるのは𝟐ふたつ。𝟏ひとつは分析ぶんせき対象たいしょう。もう𝟏ひとつは𝟎次元じげんてき思考しこう。ビートルズの既発曲きはつきょく網羅もうらてき解析かいせきする事自体じたい問題もんだいいが、ビートルズの楽曲がっきょくだけをレノンとマッカートニーが作曲さっきょくしうる全てに限定げんていしてしまっている点が問題もんだいとなる。そして、レノンが作曲さっきょくした既発曲きはつきょくがレノンの作曲さっきょく可能性かのうせいの全てであり、マッカートニーが作曲さっきょくした既発曲きはつきょくがマッカートニーの作曲さっきょく可能性かのうせいの全てであり両者りょうしゃ二者にしゃ択一たくいつてき存在そんざいするという大前提だいぜんていがどこからともなく発生はっせいしている点も問題もんだいとなる。簡単かんたんえば、既発曲きはつきょく已外いがいのスタイルで作曲さっきょくしようとおもえば作曲さっきょくできる可能性かのうせいをどうやって否定ひていしたのか?ということ。ハーディの論証ろんしょう可𪜄かふか行𧗩こうふこう欲𠁓よくふよくの話になる。

 レノンの楽曲がっきょく音楽おんがくてき単調たんちょうなものがおおいらしいが、レノンが単調たんちょうきょくしかけないというのとはまたべつの話になる。わたしはその点について実態じったいは知らないが、仮にレノンは複雑ふくざつきょくことができないとしても、今度こんどはマッカートニーが複雑ふくざつきょく特徴とくちょうがある。だからとって単調たんちょうきょくけない・かないとはえない。作曲さっきょくまなぶ際は通常つうじょう単純たんじゅん手法しゅほうからまなんでくので、複雑ふくざつきょくけるひと単調たんちょうきょくける。𝐂𝐌スィーエムみじか単純たんじゅんきょく楽句がっくでさえ、音大おんだい古典こてん楽理がくりまなんだ作曲家さっきょくかが作っていることはある。文字もじかんがえれば一般いっぱん人でもわかりやすいとおもうが、たとえば小𝟏しょういち生徒せいとがひらがなばかりで短文たんぶんおお平易へいい語句ごく文章ぶんしょうくのと、学校がっこう先生せんせい小𝟏しょういちけにひらがなばかりのやさしい文章ぶんしょうくのとは意味いみちがう。学級がっきゅう通信つうしんがいつもひらがな主体しゅたいみじか平易へいい文章ぶんしょうだからとって、一年分いちねんぶん分析ぶんせきしてもその先生せんせい大人おとなけの文章ぶんしょうけない理由りゆうにはならない。

 一見いっけん客観きゃっかんてき網羅もうらてき解析かいせきを行っているように見えるが、こういった限定げんてい仕方しかた実態じったい反映はんえいしているのかいなかが不明ふめい論理ろんりてきともい難い。統計学とうけいがくとかハーヴァードという名前なまえ鵜呑うのみにしないよう注意ちゅういする必要ひつようがある。もちろん、たん今回こんかい話題わだいに限ったことにとどまらず、さまざまな噂話うわさばなしひと文章ぶんしょうなんらかの情報じょうほう分析ぶんせきする際にもえること。いくらあるひとのブログや𝐒𝐍𝐒ソーシャル・ネットワーク・サーヴィス文章ぶんしょう解析かいせきしても、そのひとかんがえや趣味しゅみ文体ぶんたいが全て反映はんえいされているとは限らないし、それは家族かぞく親戚しんせき知人ちじん友人ゆうじん取材しゅざいしても同様どうようになる。

 たとえばわたしがここのブログであつかっている内容ないようはもう𝟑𝟎𝟎回を超えているが、一度いちどいていない趣味しゅみ話題わだいもある。むかしの話なので普段ふだんネットで検索けんさくすることい。仮にわたしの知り合いやむかし同級生どうきゅうせい取材しゅざいしたとしても、その趣味しゅみの中には話をしたことがあるのは数人しかいないものもあるので、うまく該当がいとうしなければ絶対ぜったいて来ないキーワードになる。だからとって興味きょうみかったと分析ぶんせきしたらそれは事実じじつに反して、そこから先の分析ぶんせきが誤った方向ほうこうく。嫌負けんぷ障碍しょうがいひとはここで「ウソをっているにちがいない」と自分じぶん有利ゆうりになる方へ感情かんじょうてき事実じじつ操作そうさはじめるという特徴とくちょうおおく見られるので、注意ちゅういした方がい。主観しゅかん左右さゆうされる報告ほうこく情報じょうほうは当てにならない。場合ばあいによっては危険きけんもたらす。嫌負けんぷ障碍しょうがいでなくても事実じじつ収集しゅうしゅう分析ぶんせきの際に自身じしん感情かんじょう排除はいじょすることむずかしく、それなりの訓練くんれん経験けいけん必要ひつようになってくる。高等こうとう教育きょういく中等ちゅうとう教育きょういく後半こうはんから徐々じょじょ必要ひつよう過程かていになるはずだが、実態じったいとしてはなかなか訓練くんれんされる機会きかいてる環境かんきょうすくないのは問題もんだいだろうとかんじている。素養そようの有無已前いぜん機会きかいいということなのだから。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 23:57| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする