2018年06月29日

ダイターン;シャイターン;ターンエイターン②⁴/₅

 ちなみに、母国語ぼこくごではなく共通きょうつう語として英語えいご使つかう事に慣れている地域ちいき日本にほんとの違いは、「英語えいごがどれだけ上手じょうずか」というよりは、「英語えいごが話せない人に対するケアの仕方しかたがうまい」というてんだとおもう。むずかしいい回しはしないし、ゆっくりと、相手あいてが何をいたいのかを上手に、粘り強くそうとする。それと、一人ひとり駄目だめでもその辺の人が適当てきとうに集まって複数ふくすうで何とかしようとする。母国語ぼこくごだと「この人は話せない」という感覚かんかくが先に出てくるが、そうでないと「話せないのはめずらしくない」といった感覚かんかくかも知れない。日本にほんおおくの人にとって必要ひつようなのは、完璧かんぺき英語えいごを話して外国がいこくの人と世界せかい政治せいじ環境かんきょう発明はつめいについて議論ぎろんをする事ではなく、日本語にほんごが話せない人といかに会話かいわをして生活せいかつに関する話やその場に必要ひつよう情報じょうほうを伝えて無事ぶじに切り抜けられるか?という能力のうりょくだろう。そのためなら片言かたこと英語えいごでもいいし、英語えいごでなくてもかまわない。複数ふくすう言語げんごのちゃんぽんでもナメック語でもゼントラーディ語でも何でもいい。「ゴクウ!」「カメハメハ!」「うおぉー!!!」でも通じればそれでいい。高度こうど英語えいご必要ひつよう職業しょくぎょうは今でも限られているし、現実げんじつ問題もんだいとしてこれからも全ての層が高度こうど習得しゅうとくできる事はい。もしそれが達成たっせいされたら、その時日本にほん日本にほんでなくなっている。自称じしょう外向そとむきの人達ひとたちの中には英語えいご日本にほんの公用語ようごになればいと思っている人もいるが、そういう人は外国がいこくへ行っても、彼等かれら歴史れきし現実げんじつを何も学べなかった残念ざんねんなコミュニケイション力や残念ざんねん積極性せっきょくせいぬしだという事が解かるだけなので気にしなくていい。

 日本にほん英語えいご教育きょういくでも、正確せいかく英語えいごを話せるようにする事は目標もくひょうとしてあった方がいが、初期しょき段階だんかい不得意ふとくいな層に対しては、「最低限さいていげん要素ようそでどれだけおおくの情報じょうほう相手あいてに伝えられるか?」という事を重視じゅうしした方がいとおもう。もう少し具体ぐたいてきな話はまた小学校しょうがっこう英語えいごの話で触れたいとおもう。

 話を戻すが、高𝟐こうにの時に韓国かんこく男子校だんしこう学生がくせいと話す機会きかいがあり、それとは別に女子校じょしこうの子とも𝟏時間じかん、𝟏対𝟏で英語えいごで話した事はある。あとは米国べいこくで少しばかりホームステイをした事があるくらいで、小中高しょうちゅうこう𝟏𝟐年間じゅうにねんかん外国語がいこくご使つかった会話かいわというのはその程度ていど。別にそれで英語えいご試験しけん成績せいせきが上がった訳ではないし、英検えいけんやトーイックといった資格しかくった事は無かったし、りたいと思った事も無かった。なので、大学だいがく立場たちばからえば、私は生まれてこのかた一度いちど外国人がいこくじんと接した事が無く英語えいご授業じゅぎょうも受けた事が無くまった英語えいごができない人と何もわらない高校こうこう生だった事になる。

 授業じゅぎょう外国がいこくのことを学ぶとか外国人がいこくじんとコミュニケーションをするという話は、学校がっこう教育きょういく一環いっかんとして英語えいご教育きょういくだとか国際こくさい教育きょういくという形で対象たいしょうにすると盛んに出てくるが、大学だいがくであれ企業きぎょうであれ、望んでいるのは具体ぐたいてき数字すうじ点数てんすう何点なんてんれるか?これは今もむかしわっていない。入試にゅうし英語えいご英検えいけんやトーイックやトウフルに代わっただけ。指標しひょうできないような「ガイジンとしゃべりました」なんておも出話でばなしは望んでいない。それまでの、機械きかい使つかって英語えいごを学ぶ、外国がいこくの人と話をする事がすばらしいという世界せかいから、大学だいがく入試にゅうしが近づいたり高校こうこうを出た瞬間しゅんかん点数てんすうは?級は?という世界せかいわる。この現実げんじつを知っている親や教師きょうし生徒せいと当然とうぜん点数てんすうため対策たいさく優先ゆうせんして行う事になる。受験じゅけん校では「入試にゅうし関係かんけい授業じゅぎょうはしない」という事が進んで、それがバレて問題もんだいになったのがかつての未履修みりしゅう問題もんだいだが、生徒せいと個人こじん単位たんいでも「受験じゅけん関係かんけいない授業じゅぎょうない」という選択せんたくをする人がいる。「今日きょう体育たいいく美術びじゅつ社会しゃかいだから学校がっこう休んで自分じぶん勉強べんきょうしていた方がまし」といった感覚かんかくで休む。親もそれを容認ようにんする。国際こくさい理解りかいやプログラミングの授業じゅぎょうでも内容ないよう次第しだいで同じ事が起こるだろう。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 12:00| 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする