2018年06月28日

ダイターン;シャイターン;ターンエイターン②³/₅

 同時期どうじき、親が海外かいがいの人と文通ぶんつうをしていたので、海外かいがいから手紙てがみ何通なんつうか届いた。募集ぼしゅうすと興味きょうみを持った人が直接ちょくせつしてくるので、複数ふくすうの人の手紙てがみを目にする事になるが、タイプライターの人もいれば、手書てがきの人もいる。手書てがきだと当然とうぜんくせ反映はんえいされるが、国や人によって違ってくるので、日本にほんでは見られないような形状けいじょうも目にしたりする。ブロック体と筆記体ひっきたいが混じったような書き方もおおかったし、便箋びんせんというよりはノートのページを切りっただけの紙にいてきたりと、日本にほんでの「手紙てがみ」の印象いんしょうとも違ったりする。青インクを使つかう人がいるのも、日本にほんでは通常つうじょう見られない景色けしき直接ちょくせつ外国人がいこくじんとやりりしていなくても、また私自身じしんかかわっていない物事ものごとでも、横でやっているのをなんとなく目にしているだけで情報じょうほうはいってくる。已前いぜん英語えいご筆記体ひっきたい関係かんけいしたニュースに付随ふずいしたコメントで、米国べいこく留学りゅうがくしていたという人が目にした話をいていたが、内容ないよう留学りゅうがくしていない私でも目にしているようなものばかりだった。このようなものに、内向うちむきも外向そとむきもあったものじゃないし、夢も情熱じょうねつ一歩いっぽ踏み必要ひつようも、い。日本にほん生活せいかつで目にしないといっても、現地げんちに行かないとわからない事ではない。

 高校こうこうの時は台湾たいわんで道をくのに現地げんち若者わかもの英語えいごを耳にしたが、アー、ウーと四苦八苦しくはっくしており、日本にほんと大してわらない水準すいじゅんだった。同じ事は大学だいがくの時、ドイツのえき電車でんしゃの行き先をいた時もそうだった。「しゃべろうとはするけど言葉ことばない」という感覚かんかくだけは伝わってくるし、英語えいごができない人にとってそれはよく理解りかいできる感覚かんかくでもある。外国がいこくへ行ってかんじるのは、英語えいごでコミュニケイションしている人のおおさよりむしろ、英語えいごしゃべれない人のおおさだった。日本人にほんじんとそんなにわらない。日本人にほんじんよりできない人の方がおおいかも知れない。世界せかいでは英語えいごが当たりまえかのように自称じしょう外向そとむきの人は少なくないが、英語えいごしゃべれる人としかしゃべっていないだけなのにそれすら気付いていないかなり内向うちむきか排他はいたてき人達ひとたちだと思っていい。昨年さくねん半年はんとしほど茂木もぎさんのブログを読んでいてもそれはかんじた。彼の中で「世界せかい」は




日本にほん𝐀国𝐁国𝐂国𝐃国
英語えいご
日本語にほんご    


となっていて、英語えいごが話せない外国人がいこくじんは人として存在そんざいしていないようだった。彼だけではなくそういう発想はっそうでものを言っている人は少なからずいる。「人権」とか「自由じゆう」といながら「奴隷は人じゃないから」と含めていなかった時代と発想はっそうわらない。

 英語えいご圏へ行くと英語えいごが話せる人が「ふつう」なのでわかりにくいが、非英語えいご圏で共通きょうつう語として多少たしょう英語えいごが話せる程度ていどの人がおお地域ちいき場所ばしょへ行くと、「母国語ぼこくごじゃないが英語えいごをなんとかして使つかっている」という人同士どうしのある種の連帯れんたい感のようなものが生まれる事がある。そういう場では、英語えいごが通じるのが当たりまえという顔をしておおきな声でしゃべっている米国べいこく人は嫌われている。国ごとの言語げんごを覚える必要ひつようが無く共通きょうつう語が使つかえるのは便利べんりだが、やはり現地げんちの人と接触せっしょくしたいなら、片言かたことでも現地語げんちごをおぼえる、あるいはしゃべれなくてもしゃべろうとする姿勢しせいをみせる事の方が重要じゅうようになってくる。海外かいがい進出しんしゅつしたものの現地げんちニーズが把握はあくできず成功しない日本にほん企業きぎょうといった話も何年なんねんまえ話題わだいになっていたが、英語えいごに困らない人とだけしゃべっていてはそういう事はわからない。今の日本にほんは「英語えいご教育きょういく」に必死になって「外国がいこく教育きょういく」をしようとしていないてんは気になる。この話は小学校しょうがっこう英語えいご教育きょういくの話に関連かんれんして話題わだいにしようと思っていたが、ついでなので少し触れてみた。石山いしやま報告ほうこくう「未来みらい見据みすえた学び」とか「越境えっきょう力」といった時、私の場合ばあい英語えいご教育きょういくの枠にとどまっている事が問題もんだいという範囲はんいにまで及んでいる事になって、英語えいご絶対ぜったい主義しゅぎてきな人とは「縦の方言ほうげん」の違いが生じることになるだろう。業種ぎょうしゅ取引先とりひきさき次第しだいでは通用つうようする企業きぎょうもあるので「就活しゅうかつ学生がくせいが読んではいけないおはなし」とはい切れないが、決して多数たすう派ではないので相手あいては選ぶ必要ひつようのある視点してんとなる。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 12:00| 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする