2018年04月24日

アベシ🍬🍭ベドウィンじゃありません。🌂☔☂アヘアヘウヒハ

漂海民バジャウ、驚異の潜水能力を「進化」で獲得


 東南アジアの海で暮らすバジャウ族は魚をるために潜水すると𝟏𝟎分くらい戻って来ないそうだが、その能力は脾臓の発達と関係あるんじゃないか?ということで遺伝子を調べたり、他の臓器についても調べるべきだといった話が書かれている……が、日本の海女あまさんも𝟓〜𝟏𝟎分くらい潜っている人がいるというのは昔聞いたことがある。代々海女をやっている𝚘𝚛やっていた一族はあるかも知れないが、脾臓や関連遺伝子に変わったところがあるのだろうか?

 海女といえば、これで[あま]と呼ぶのは不思議だったが、古い日本語では「あま」が海で、「あめ」が空だったらしい。のちには天も[あま]と読むようになっているのは何故なのだろう?そしてもう一つ、以前ふと思った事があるのだが、起源不明とされている「あべ」という苗字は天[あめ]のことなんだろうか?

 ここからは素人の想像でしかないので話半分に読んで欲しいが、一般に、天皇家には苗字が無いとされている。理由は「苗字を与える側だから」と已前『日本人のおなまえっ❢』で説明していた。しかし、天皇の苗字を説明した記述が無いわけじゃない。中国の歴史書『隋書ずいしょ』の「倭国伝わこくでん」では、日本の大王の姓を「阿毎」としている。これを普通は[あめ]と読ませる。単に天皇を[あめのおおきみ]とでも言ったのを説明不十分で誤解されたのか?と思ったが、「天皇」という呼称は持統天皇の頃からとされている。𝟕世紀後半。隋の国は𝟕世紀前半に滅んでいて、遣隋使が来た頃にはまだ無いとなる。

 天足彦国押人命あめたらしひこ くにおしひと の みことのことではないか?と考える視点を目にしたことがあるが、記紀の記述をまともに信じれば弥生時代前期、「倭の五王」を仁徳天皇あたりに考えるような時代設定でもせいぜい弥生時代末期の人になるので、隋とは何の関係も無い。

 一方、遣隋使を出したのは阿輩雞彌おおきみ阿毎多利思比孤あめたらしひこだとしている。何故か名前がそっくり。日本では小学校の歴史で習うような聖徳太子や推古天皇の話も、中国側からの視点でみるとだいぶ印象が異なってくる。ちなみに『隋書』の列伝が完成したのは隋国滅亡後まもない𝟔𝟑𝟔年﹦舒明じょめい天皇𝟖年。『日本書紀』が完成したのは𝟏𝟎𝟎年後の𝟕𝟐𝟎年﹦養老𝟒年。

 この辺は政治的背景が色々あって作られた書物だという事を考え出すと、学校で習う歴史のイメージが崩壊するくらい怪しさ満点の黒歴史くろれきしも見え隠れしてしまうが、今は横へおいておく。

 中国人が阿毎を姓と考えたのは、阿毎多利思比孤という名前からで、おそらく苗字の概念が無いとは思っていなかったからだと思うが、逆に遣隋使を出した勢力からすると、そういう呼び方をしているというのを知る事になるわけで、それが理由で阿毎が独立した呼称になったのかな?とも思えた。一応、推古天皇より前から阿倍臣;阿部木事;阿倍波延󠄄長比賣;阿倍大麻呂;阿倍麻呂という人物が出てきているが、全て天足彦国押人命よりもあとの人になる。もし天足彦国押人命﹦阿毎多利思比孤なら、遣隋使以降。

 [あべ]は[あへ]が濁った音で、昔は清音だったとされる。実際、阿倍氏発祥の地は奈良県とされているらしいが、阿拝郡という地名も伊勢国に在る。孝元天皇の孫が阿閉臣と阿倍臣。天足彦国押人命の孫が孝霊天皇で、その次が孝元天皇。順番に列んでしまう偶然がある。

 以前、「走りまして、恵比須顔でございます」で、六十谷むそたという苗字の語源が地名で、元の表記は墓所谷だという話をした時に、呉音という言葉を出したが、墓は普通[ボ]と音読みするのに、ここでは[む]になっている。墓という漢字は漢音が[ボ]で呉音が[モ]になる。「欠けまして、おめでとうございます」では、[o]と[u]が交替しやすいという話もしている。

 英語に𝐭𝐨𝐦𝐛とか𝐛𝐨𝐦𝐛という単語がある。発音は[túːm | トゥーム]、[bɑ́m | bɔ́m | バム | ボム]。𝐛𝐨𝐦𝐛𝐞𝐫は[bɔ́mɚ | ボマー]になる。ドイツ語ではボンバー。『ボンバーマン』𝐅𝐂𝟎𝟎𝟗𝟓というゲームが昔在ったが、あれはドイツ語読みになる。

 𝐌と𝐌𝐁と𝐁というのはこのように関係を持つことがある。馬を[バ]と読んだり[マ]と読んだりするのも同様。「うま」という日本語も、元々日本にウマという動物がいなかった点から、外来語だとされている。[ba | ma | uma]

 每(=毎)という漢字は普通[マイ]と読むが、これは慣用音で、漢音はバイ。

 漢音というのは前漢;後漢の時代の音……ではなく、隋唐の時代の長安周辺の発音を写したもので日本へは𝟖〜𝟗世紀に伝来したとされる。『日本書紀』が書かれた頃。そして遣隋使の頃はまだ日本に無い。

 呉音は中国古代、長江下流域の音とされる。日本へ先に伝来した漢字音はこちら。

 「あめ」に日本で、もしくは最初に中国へ入港した時点で漢字を当てて「阿毎」としても、隋の都:長安へ着いた頃には「アバイ」になっているはず。それを遣隋使の人間が耳にすれば、[あべい]のように聞こえても不思議じゃない。それが逆輸入されて[あへい]や[あへ]になったのでは?……と、思った次第。偶然にも孝元天皇の孫も阿閉と阿倍。ひょっとしたら最新の外国語風発音を地名もしくは集団名に付けた、今で言うところの𝐃𝐐𝐍……もとい、キラキラネームだったのかも知れない(笑)

 ちなみに、現在[あめ]と読む苗字は、ありそうで意外と無く、飴さんだけ。天さんは存在するようだが、[あま]と読む。

 私的な日記では去年の𝟏𝟏月𝟑𝟎日に書いているお話で、こちらでも話題にしようと思いながら機会を逃していたのでついでに触れてみた。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 08:13| 地名人名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする