2018年04月07日

入学式後の今昔

 地域によって多少違うが、𝟎𝟒月𝟎𝟔日が小学校の入学式だったところが多いのか、昨日複数のニュースで紹介されていた。個人的には全然記憶に無い。式が終わって教室へ移動するところから多少記憶にある。

 小学校に入った時は「おどうぐばこ」が用意されていて、中には算数で使う木製のサイコロのような積み木や時計の模造品、クレパス、油粘土が入っていたのはおぼえている。現代ではどんな物が入っているのだろうか?時代によっても当然違うだろう。地域によっても実は違いがあり、中身以前に箱の大きさからして違った。このおどうぐばこは上蓋をひっくり返して𝟐つを机の中に入れ、上蓋の方には朝学校に着いたらランドセルから教科書やノートを出して入れておくために使う。なので机の抽斗ひきだし入れとサイズが合うようになっている。地域によってサイズが違うと、大きい物を持っていた場合、小さい箱を使っている地域に行くと、入らないということになる。つまり机の抽斗受けのような些細な物でさえ、実はサイズが違ったりする。同じようでいて多様性がある。現場にいけば何でもわかる;人と話せば何でもわかってると思っている人は当然常識として知っていて、それが全国に何種類のサイズがあるのか何も調べずともすぐにスラスラと口にできることだろう。私はそうは思わない。「行こうが行くまいが判る事は判るし、判らない事は判らない。解かる人には解かるし解からない人には解からない」という情報処理の基礎もこういうちょっとしたところから気附ける。小学生でも。

 教科書もどこの出版社の物を採用するかでもめる話がニュースになるくらいなので、同じ科目でも複数の物があることがわかる。私の場合、国語に関しては小学校𝟔年間光村図書の物だったが、算数や理科は啓林館の物と東京書籍の物を経験している。習うことは指導要領で決まっているので大した違いはないが、順序が違っている場合がある。なので年度途中に転校する場合は、行った先ですでに習っていて知っているのが当然ということもあるので注意がいる。

 表現の仕方も違う。𝟐𝟎𝟏𝟖年度﹦平成𝟑𝟎年度現在使われている教科書は私の頃とかなり異なっているだろうから差異があったとしてもどういう違いなのかはわからないが、私の時は文体が違った。啓林館の方が文章として書かれている物が多く、東京書籍の方は会話文で書かれている物が多いという印象を受けた。これは、文章を読むのが苦手な人にとっては後者の方が読みやすいという効果があるのかも知れない。当時も「東京書籍の方が簡単」という印象は持っていた。しかし、声に出して読む機会が多い学校の授業で短い会話文を読んでも、演劇の台本を棒読みしているようなものでつまらないし、何より文章表現に慣れるという意味では不利になると感じる。何度も読む事でちゃんとした文章に慣れていく機会になるわけだし、授業已外で本を読まない人にとっては授業に関わる朗読が数少ない機会になるわけで。字が多いとそれだけで頭に入ってこなくなる学習障碍もあるので、障碍の水準までいかないとしても相対的に不得意な人はいるだろうからこの辺はどちらが適しているか難しいところ。結局運なのだろう。

 昔の教科書というのも高校の時の日本史の資料集だったかで写真を見たことがあるが、以前国会図書館のデジタルライブラリーで公開されているのを目にしたことがある。小𝟏の初っ端から世界の国々について学ぶ内容になっており、しかも国名は漢字ばかり。ゆとりだグローバルだと言ってる人が誤差の範囲になるくらい、国際性を意識しており、また漢字が難しかった。

 その本をちょっと紹介しようと再び検索したものの、ちゃんとしたタイトルをおぼえていなかったのでなかなかみつからなかった。代わりに『きょうかしょじびき
敎科書字引
․ 𝟏編 しょうがくどくほんのぶ
小學讀本之部
』という物がたまたま目に入って一覧してみたのだが、それでも十分話のネタになるものだった。

 教科書字引というくらいなので教科書に出て来る単語をまとめた用語集のことだろうが、例えば植物の項目などはこのようになっている。

教科書字引


 これは𝟏𝟖𝟕𝟓年﹦明治𝟖年の小学生向け教科書準拠だが、今だと「漢字検定の勉強ですか?」といった状態。これを当時の小学生はどの程度頭に入れていたのか実態はわからないが、混血も少なく今の日本人と当時の日本人は遺伝的にほとんど変わっていないことを考えれば知能水準が大きく変わっているわけでもないだろう。ということは、ついていけなかった子供が相当いたか、もしくは戦後以降の子供が環境上何か問題があるかといった話になってくる。興味深いところ。

 学校や家で使う道具で字引掲載の物、今だとどうだろう?とちょっと比較してみた。

ツクエ 机、デスク
墨斗ヤタテ/スミツボ シャーペン;スタイラスペンの芯
鐵筆テツピツ シャーペン、スタイラスペン
鉛筆エンピツ 鉛筆
石板セキバン ノート、タブレット端末
テガタ 定期券、𝐈𝐂乗車券、スマートフォン
椅子イス 椅子
ムシロ ござ、シート、マット
提燈チヤウチン 懐中電灯、𝐋𝐄𝐃ライト
行燈アンドン 蛍光灯、𝐋𝐄𝐃照明
燭薹シヨクダイ スポットライト
算盤ソロバン 電卓、スマートフォン
算木サンギ 計算機、パソコン
千里鏡トホメガネ 双眼鏡;望遠鏡
傳信機テンシンキ 固定電話、携帯電話、スマートフォン
喇叭ラッパ トランペット
シヤウ 足踏みオルガン、電子キーボード
篳篥ヒチリキ リコーダー、クラリネット
サウ ピアノ
コトヂ フレット
琵琶ビハ クラシック・ギター
三絃サミセン アコースティック・ギター
胡弓コキウ ヴァイオリン
バチ ピック
假面メン お面、マスク
蹴鞠ケマリ サッカーボール
手毬テマリ バスケットボール
雙六スゴロク ボードゲーム、カードゲーム、ゲーム機、スマートフォン
将棋シヤウギ
楊弓ヤウキウ エアガン
烟火ハナビ 花火
木偶ニンギヤウ 人形、フィギュア、おもちゃ
紙鳶タコ/イカ たこ、カイト、ラジコン、ドローン
獨樂コマ ベイブレード


 現代でもおこと
やおしゃみせん
三味線
は存在しているように、必ずしも死語;死物というわけではないが、一応現代的な物を逐一ならべてみた。そして、ならべている途中で、私が子供の頃に使っていた道具も、この数年で考えたら既に違う物に置き換わっていることが少なくないことに気附いた(笑)
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 23:59| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする