2018年02月17日

カーリング 菓子 準決勝 うすあじ𝐯․ねぎ塩焼肉味

 この話が五輪とどう関係あるのかというと、𝐓𝐕で競技の中継を見ていればわかる。どんな競技でもそうだが、五輪に限らず国際大会であればさまざまな国から選手がやってくる。そして紹介も国や地域の単位で行われる。当然、国旗も映る。試しにグーグルで簡単に検索したら公式サイトの競技結果が出てきたのでこれを例にしてみる。𝐓𝐕画面でもほとんど同様の情報がしばしば表示されている。

𝐒𝐩𝐞𝐞𝐝 𝐒𝐤𝐚𝐭𝐢𝐧𝐠 | 𝐑𝐞𝐬𝐮𝐥𝐭 𝐋𝐚𝐝𝐢𝐞𝐬❜ 𝟑﹐𝟎𝟎𝟎𝐦 − 𝐏𝐲𝐞𝐨𝐧𝐠𝐜𝐡𝐚𝐧𝐠 𝟐𝟎𝟏𝟖 𝐎𝐥𝐲𝐦𝐩𝐢𝐜 𝐖𝐢𝐧𝐭𝐞𝐫 𝐆𝐚𝐦𝐞𝐬


 私が世界地図と国名・首都名・国旗をおぼえたのは年長~小𝟐のころだった。トイレに世界地図が貼ってあって、国旗と国名も周りにならんでいたので、トイレに入るたびにちょっとずつおぼえていき、最終的に小𝟐の秋までにそこに載っていたものは頭に入っていた。問題は、その地図に全ての国旗と国名が載っていたわけではなかったこと。当時も、なんとなく足りないような気がすると思っていたが、それ以上疑問には思わなかった。実際、中𝟏の地理で各地域を扱うようになると、地図帳を開いたさいになじみの無い国名や国旗を目にすることになり、全てが載っていたわけじゃなかったとはっきり気付いたし、また島嶼の小さな国々が抜けていたことも知った。最初におぼえたころよりあとに新たに独立した国などもあった。なので𝟏𝟎𝟎%ではないのだが、それでもほとんどはもう授業で何も習っていない段階で場所や名前や国旗が頭に入っているので、それ以外のことに集中ができる。これは私だけの話ではなくて、全部でなくてもある程度既に頭に入っている人たちはゴロゴロしていたと思う。そういう人たちが集まる学校だったので。特に場所や名前そのもので話題になったり会話に支障が出ることはなかった。こういうのは別に塾でおぼえろ言われるわけではないし、中学受験にも大学受験にも出ない。なので単に塾に行ったから知っている、という話ではない。環境の問題であり、日常生活の「ふつう」の違いでしかない。ちなみに地理や世界史の論述で問われたりするのはもっと細かい位置関係で、地形・気候・歴史的背景といった理由をともなったものになる。

 書いたついでなので少し触れておくが、近年のクイズ番組でよく「東大卒」「高学歴」のように学歴を強調した紹介のされ方がなされている。晩夏に毎年放送されている高校生クイズでも学力偏差値や学校名が強調されることがあった。しかし、クイズ番組に出て来る問題の大部分は東大やいわゆる難関と呼ばれるような入試には関係無い。特に東大や京大などは国立大学なので基本的に学校の教科書をベースにした問題しか出さない。受験校だからと言っても、そんなことを授業でやっているわけではないし、定期試験の問題に出るわけでもない。身近に知り合いがいないとどういう世界なのかなかなかわかりにくいかも知れないが、𝐓𝐕局が学歴を強調してクイズとからめているのは誤解を与えるだけで、いい事ではないと感じる。現場にいる人たちもそれを知っていて黙っている。クイズで高得点を取り、本人が東大目指していますとか現役東大生ですと話す人が出てきたとしても、彼等は「余力」「勉強の息抜き」でやっているだけだと認識してほしい。東大を目指しているから知っている・勉強しているから知っているというわけでは全く無い。クイズ研究会に入っている人などはなおさら特殊で、「東大だから」「高学歴だから」ではなくどこの大学でも同じ事。知っている人は知っているし、知らない人は知らない。

 逆に言えば、「試験と関係無いし別にクイズが好きというわけでもないけど知っている」という人が子供の時点ですでにそれだけいるということでもある。ある人はクイズで正解して高得点を取るために一生懸命努力したかも知れないが、それでもなお知らないことを、別のクイズに興味のない人が「ふつう」に知っている、そういう人がたくさん集まっている世界がある。それが現実になる。「ふつう」というのは普段のどこかしらで耳にしたり、話に出たり、疑問に思って考えてみたり、調べてみたりといったこと。どこでおぼえたのかさえはっきりおぼえていない人も少なからずいると思う。日常的な感覚、「ふつう」というのはそういうこと。努力や情熱や夢という標語が好きな人はこの手の経過を無視するか毛嫌いするという傾向を感じるが、そうなるとやることは試験に出ることしかやらない・過去問や教科書に載っていることしか知らない・できないということになる。そういう勉強の仕方をする人も夢がないとして嫌うという矛盾した論理が経営者や大学学長やマスメディアの間では流行しているので、注意深く話をきく必要がある。情報処理の上でも将来性を占う大事な分岐になるし、リーダーを育てる教育での大きな落とし穴にもなる。

 さて、国旗が頭に入っているだけで上記リンク先のページは、英語やラテン文字が全く読めなくてももう識別できることがたくさんある。幼稚園児にでも顔と国籍を結び合わせることができるし、どこの国だと言いあてることができる。𝐓𝐕での競技中継でも同じことができるので、競技の瞬間という動的な場面でなくても楽しめる要素が増える。知らない人にはただの図柄にしか見えない。知っている人なら思い出す機会にもなってより記憶に定着する。たった𝟏秒画面をみただけでもそこでもう知識の差が生まれるし、脳への刺激が異なる。何を書いているのか解からないから見ないで終わる人がいる。一方で、いくつかわかることがあるので面白い、じゃあその隣はなんだろう?と考えてみる。この積み重ねの差が、努力していないがクイズの正答率が高い人と、そうでない人との差であったり、習っていないが知っている人との差だったり、同じ体験をしても学んだ量に差が出たりする結果となる。

 大人になってからビジネス関係の話題で偶に耳にするようになった表現に「アンテナを張る」というものがあるが、この言葉には最初違和感をおぼえた。アンテナなんて張らなくても一目見るだけで勝手に入ってくる情報がある。𝟏𝟎年くらい前からだろうか、劣等感を隠すためのレトリックとして「意識高い系」という言葉も実力の無い負けず嫌いの間で好んで使われるようになったが、感情の方向性が違うだけで「アンテナを張る」と発想は同じ。「ふつう」、「意識しない」、「張る必要なく体そのものがアンテナ」という状態に持っていった方がいい。暇潰しにスポーツの中継を観ているだけの話でいちいち意識したり気合いを入れて画面の隅々にまで目を配っているなんて疲れるだけだろう。そんなの楽しくない。ガンダムで言えば「意識低い系﹦オールドタイプ」、「意識高い系・アンテナを張っている人﹦強化人間」みたいなものだ。

 私は小𝟒の時に学校でローマ字を習った。小学校で英語が既に導入されている現在、どうなっているのかよくわからない。一応読み書きは高学年でやるつもりらしく、以前新指導要領の概要を読んださい、小𝟔の項目に私が中𝟏の時におぼえたような単語がならんでいたのを目にしたが、ローマ字、つまりラテン文字による日本語表記と、アルファベット、つまりラテン文字による英語表記との関係については言及されていなかった。

 とりあえず基本ラテン文字をおぼえると上記サイトの画面に出て来る文字は網羅されている。なので、うまく誘導すれば「読んでみよう」「書いてみよう」という気にはなる。学校でカリキュラムに沿った英語の授業をするよりも、こういう時節に合った内容を取り上げたほうが、英語であれ日本語であれ、たくさんの言葉や表現に接する機会が持てる。すると、五輪といった行事や季節、内容を伴った言葉の記憶になるので忘れにくいし、イメージもわきやすい。単語集に載っているものをまとめて頭に叩き込むのとは質が違ってくる。

 スポーツの選手や結果の表示に関しては𝟏語か、せいぜい𝟐〜𝟑語で表されることが多い。なので単語をおぼえるには向いている。たとえば、「個人」だと𝐈𝐧𝐝𝐢𝐯𝐢𝐝𝐮𝐚𝐥と書かれているし、「女子」は「𝐋𝐀𝐃𝐈𝐄𝐒」となっている。「𝐋𝐀𝐃𝐘の複数形だから𝐘を𝐈に変えて𝐄𝐒をつける」なんて理屈を考える必要はない。「『女子』はこう書いている」でおしまい。「スケート」や「スキー」は英語だと𝐬𝐤𝐚𝐭𝐢𝐧𝐠、𝐬𝐤𝐢𝐢𝐧𝐠で、カタカナ外来語とはいえ日本での表記は英語と違う。分詞形も既に登場しており、中学校英語では現在進行形よりもあとで習う話が、「ふつう」に出て来る。こうやって目に慣らしておくと、文法用語や教科書に出て来る順・単元にしばられない把握の仕方になる。このほか、𝐫𝐞𝐬𝐮𝐥𝐭、𝐫𝐞𝐜𝐨𝐫𝐝𝐬、𝐧𝐚𝐦𝐞、𝐥𝐨𝐜𝐚𝐭𝐢𝐨𝐧、𝐝𝐚𝐭𝐞、𝐫𝐚𝐧𝐤、𝐩𝐚𝐢𝐫、𝐥𝐚𝐧𝐞、𝐭𝐢𝐦𝐞、𝐠𝐚𝐩․․․․․․そういう単語がならんでいる。ジャンルに関係なくスポーツの中継ではよく使われる単語も多い。だから𝟏回でおぼえられなくても、二週間の間に何度か目にする機会はあるし、今回の五輪が終わったあとでもどこかで目にするかも知れない。そうやって生活の中で自然と身に着けていくことができる。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 00:32| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする