2018年02月08日

ゑいのためとしてゐをするとなしたり②

 さて、そろそろ本題に入る(笑) ①の部分はただの日記で、これを書く前に起こったことを書いただけ。いつもならこの部分が私的日記に入っている。こちらでは省略していることが多い。このブログでは一応「日記に書いた中で他人にも役に立ちそうなことを~」とも標榜しているので、「𦥮」の話題が出たついでに過去に気づいたことを触れておこうかなと思う。

 𦥮は『汉典』や『康煕字典』を読めば書いてある通り、「𤔡」のこと。この字形は『康煕字典』で正字扱いとなっている字形で、日本でも戦前ではそうだった。今の日本では「旧字」「許容字体」という扱いになっている。戦後の常用漢字表で正字扱いになっているのは「為」。台湾でも現在の常用字は「為」になっている。

 中国では香港・マカオだけ例外的に台湾と同じような康煕正字系の漢字が使われているようではあるが、台湾とどの程度の違いがあるのか確認したことがないので詳しくは知らない。一般にはハンタイジ
繁体字
と呼ばれており、対して中国大陸で現在正字扱いになっているのは簡体字と呼ばれている。簡化字ともいうが、要するに簡単にしたもの。「𤔡」の代わりに「为」と書く。𝟏𝟐画が𝟒画になるのだからだいぶ簡単になっている。

 前回紹介した「𦥮」のリンク先には「𤔡」の異体字も紹介されている。特に『異󠄂體字字典』には大量に収録されており、出典も右下のフレームに紹介されているので、興味がある人はスクロールして確認してみるといい。そこに出て来る書物は昔の漢字字書としては有名なものが一通り入っているので、漢字に興味がある人で、さらに詳しく知りたいと思っている人は書物の名前を知っておいて損がない。日本の『大漢和辭典』を読むさいにも出典情報としてしばしば出て来る。

 『汉典』ではフォントがあるものを中心に異体字として紹介されているので、こちらはこのブログでもそのまま紹介できる。


𢏽𦥮𤓸𨤒𤔡𛄐


 真ん中の青い「爲」が『康煕字典』で正字とされるもので、それより左は古い字形。右側は新しい時代の正字や略字。別に右側が『康煕字典』より前に存在しなかったわけではない。ただ、何が「正しい漢字」か?というのは時代によって変わる。権力者によっても一時的に変わることがある。正義論ではないが、そういう視点も漢字の歴史を通して学ぶことができる。すると、毎年のように学力調査で漢字や言葉の使い方・正答率の話題が出て議論になったり重箱の隅をつつくような話を持ち出したりすることが、どうでもよくなってくる。守破離、つまり先ずは現時点で正しいとされているものを学び﹙﹦守﹚、次にそれ以外の書き方やかつて正しいとされていたものも知り﹙﹦破﹚、そういう多様性が「ふつう」となれば状況に応じて自由に使いこなす・表現された形に対して寛容になれる・さらに新しいものを生み出していくレベルに到達する﹙﹦離﹚。必要な漢字を正しくおぼえたり、興味を持って難しい漢字を積極的におぼえていくことは悪いことではないが、試験や検定での正解・不正解を気にする段階で止まってしまうと、いつまで経っても守守守で外の世界を知らないとか、守破破で間違い探しにこだわってしまうレベルにとどまりかねないので気をつけた方がいい。試験・検定では点数をつけないといけない関係上、必ず「正解」と「不正解」、また試験に出す「範囲」というものが設定される。漢字自体はほぼ有限だろうが、規模としては試験・検定で扱われるものよりもはるかに多く、また曖昧で完全に理路整然としているわけではない。発達障碍のようにそういった設定された枠を越えて柔軟に扱うことが発想・感情として難しい人もいるが、大部分の人はただ単に経験不足でその段階に達しないままなだけか、周囲にそういう人がいなくて次の段階に行く機会や発想がなかっただけか、意思はあったが環境にめぐまれず芽をつぶされただけかと思う。漢字に限った話ではない。

 『汉典』や『異󠄂體字字典』にもあるが、一応触れておくと、

𢏽𦥮𤓸


は「古文」らしい。古字とか古体でもいい。要するに昔の字。現在の漢字は秦の始皇帝が中国を統一したあとに文字の統一も行った関係で、その子孫であることが多い。それ以前は国によって文字が異なっていることもあったらしいが、フンショ
焚書
や文書の腐敗などでよくわかっていない。発掘されているものはごく一部のようだが、それでも大量にあって整理が進められている。「古文」というのは、そういう統一前の古い時代の字形も含まれている。地域によって発音や字形が異なったりするのは始皇帝の統一後もたまにある。漢字を扱った本などを読めばそういうよもやま話もまとめて載っているのかも知れない。辞書を引いたさいも、たまにそういう話と出くわすことがある。例えば、日本語で「かぎ」、英語の𝐤𝐞𝐲に相当する漢字を日本では「鍵」と書くが、これはもともと函谷関より東から陳・楚までの地域で使われていた字形だそう。現在でいえば陝西省の東から海岸までの一帯となる。一方、函谷関より西では「鑰」と書かれていたらしい。音読みだとヤク。秦国は函谷関より西を本拠地としているので、「鑰」を使う方が正しいとなっていたはずだが、なぜ「鍵」が現在でも生き残っているのか不思議ではある。

 康煕正字の「爲」より左側にあるもう一つ、

𨤒


だが、これは『康煕字典』だと単に「爲」と同字とされている。ただ、甲骨文字の字形をみると、どうも甲骨文字を楷書化したような印象がある。つまり「絵文字を漢字っぽく書いてみた」ということ。楷書ではカーヴのきつい曲線はあまり使わず、また使うパーツが𝟐𝟎𝟎近い部首とその派生を含めた𝟐𝟎𝟎数十のパターンの組み合わせで構成するのが原則。この「楷書化」という発想は日本だとなかなか見られないので、頭に入れておいて欲しい。

 一方、「爲」という字形は、秦の国で使われていた小篆と呼ばれる字形と似ており、これが楷書化されたものと思われる。もちろん小篆から直接ではなかろう。甲骨文のあと、複雑化した金文や籒文が出来、簡略化された小篆、さらに隷書、行書、草書と省略され、楷書も生まれていっているので。篆書や隷書は今の日本でも銀行印や実印などで使われている。中国や台湾だと市中の看板やデザインでももう少し広く篆書や隷書が使われている印象がある。楷書は日本でいうところの弥生時代後期くらいから登場し、日本での奈良時代にあたる時期に正式な書体とされている。「昔の日本語は草書で書かれていて読めない」と思っている人もいるが、楷書も奈良時代には日本に入ってきており、楷書で書かれたものもちゃんと残っている。もしタイムマシンで過去に行けたとして、現代人と奈良時代人が会話をしようとしても、単語や発音、アクセントが違うのでおそらくほとんど会話は通じないだろうが、漢文が書ける人同士なら筆談はできるんじゃないかと思う。ちなみにきれいな楷書で書かれた古代の文章を目にすると、たとえ国宝であっても学校の教科書みたいでちっともありがたみを感じない(笑)

posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 20:18| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする