2018年01月28日

ラシード・オッシーン

 『世にも奇妙な物語』の話題でもしようと思ったが、看板の話を続けるんだった(笑)

 昨日、「生そば」は変体仮名で書くと「生𛁛𛂦゛」、漢字に直すと「生楚者」だと書いたが、勿論、「生そば」も元になった漢字に直せば「生曾波」になる。そして漢字で書けば「生蕎麦」となる。「現在漢字でどう書くか?」と「標準平仮名の元になった漢字でどう書くか?」と「変体仮名の元になった漢字でどう書くか?」は違うので、混乱しないよう改めて書いておく。「そば」も「𛁛𛂦゛」もどちらも平仮名で書いていることには変わりない。慣れていないと漢字のようにも見えるが。

 逆の発想をすると、変体仮名をおぼえれば草書や草書に近い字形をおぼえることが可能となる。これは標準仮名でも同様で、草書の文章の中で、たまに平仮名のような文字が出て来ることがある。しかし、平仮名ではなく漢字として捉えなければいけない。それは、漢字の草書体から現在の平仮名が派生しているからそう見えるだけ。

 せっかくおぼえたら使えないともったいないし忘れる。草書というのは今でこそ書道の芸術、字の上手な人が書くもののように見えるが、元々はただの略字。役人が大量の文書を書くさいの手間を省くために省略した一種の記号のようなものから始まっている。そう考えると「ちょっと略しすぎじゃね?」と思ったりするが(笑)、芸術ではなく実用としての草書は、手書きでの略字として応用できるということでもある。せっかくの先人の知恵なので、ぜひ利用したらいいと思う。「𛁛𛂦゛」にしても、普段は「蕎麦」か「ソバ」か「そば」が書ければ十分で、「𛁛𛂦゛」と書く必要はない。しかし、これが「楚者」の略字であるというふうに捉えれば、「者」を「𛂦」と書けばいいということになる。旧字は「者」で常用漢字は「者」。たった𝟏画しか省略されていないが、「𛂦」と書けば更に𝟔画も省略できてしまう。「楚」は日本の日常生活ではあまり用が無いが、「者」は比較的よく使うので、これが省略できるのはけっこうな効率化になる。変体仮名を普段メインで使わない人にとっては「𛂦」と書いても「は」には見えず、「者」に見えるから平仮名との混同のおそれもない。手書きの人はそうやって、使えるものを自分でみつくろって利用してみたらいい。他にも使える略字に関してはいろいろあるのでまたそのうち話題にしようと思う。

 日本や中国では漢字を単なる字としてだけではなく、意󠄃味を持った図形としても考える。なので魔除けのおまじないのように使う場合もあるし、同じ意味でもどういう形をしているのかでイメージするものが違ってくる。一方、ラテン文字圏ではそういう概念がそれほど強くない。いろいろな書体はあってカリグラフィーのような伝統的な一種の書道のようなものはあるが、単にデザインの違いでしかなく、文字は識別のための記号といった意味でとらえているように感じる。この違いは外国人が漢字文化圏を理解するときに押さえておいて欲しい違いなので、外国の人に日本文化を紹介する時は説明に入れておいてほしい。日本に来て、英語の案内表示が少ないということを感じる人は少なからずいるようで、ある程度それに対応する必要はあるのだが、たとえば京都のまちをラテン文字やハングル文字やアラビーヤ文字やタイ文字といった外国の文字で埋めつくすことは、京都らしくない、日本っぽくないと感じる人が、少なくとも日本人には出て来てしまう。文字も含めての景観になる。

 これは日本語の中においても生じることで、例えば「よこはま」と「ヨコハマ」と「横浜」と「橫濱」と「YOKOHAMA」で感じる印象は少し異なり、また日本では庶民レベルでもこの違いをなんとなく感じ取って使い分けている。芸術とか教養とかそんな高尚な発想ではないし、学校で習うわけでもない。生活の中の感性として。日本語の教科書にも辞書にもおそらく載っていないだろうし、一義的な説明も難しい。人によっては全然気にしない人もいるだろう。逆に書き方を変えるだけで嘲笑する人もいれば怒り出す人も出て来る。「よこはま」であれば簡単とか、親しみやすいとか、やわらかいとか。「ヨコハマ」だと異文化や港町を意識したような。「横浜」はわりと普通、日常的なもの。「橫濱」であれば少し古風なイメージが出る。漢字が苦手な人であれば「わざわざ難しく書きやがって」と反発する人も出て来る。「YOKOHAMA」であれば外国や先進性をイメージしたようなものになったりする。人によって感じ方はバラバラなので必ずこの通りではないのだが、大まかな方向性としてはそういう違いがある。では「横滨」と書けばどうなるか?「そんな書き方しない」と違和感を感じる。少し知ってる人なら「中国人が書いたの?」となるだろう。外国の人が「日本人って漢字使うんだろ?」と「横滨」と書いても日本人は日本をイメージしない。しかし、ラテン文字で書いてしまえば全部Yokohamaになってしまう。英語の文章ではYokohamaとYOKOHAMAに違いはない。使い方によってはYOKOHAMAやYokohamaという書き方が強調になる程度。

 この書き分けの感性は名前の付け方や看板の書き方はもちろん、漫画や文学作品、書画、商品・サービスの名称やパッケージ、会社や建物にいたるまであらゆるところにみられる。文学作品のようにほぼ文字だけで表現する場合、これを違う文字で訳すと違いが分からなくなってしまうという問題がある。作者が気にしていない場合は問題ないが、意識的に書き分けている場合、解釈が異なってくる可能性がある。日本文化に興味を持った人は、そういう違いも気にかけてみてほしい。すぐに違いを区別できるようにはならないかも知れないが、長く接していればそのうちわかると思う。漫画やアニメにも漢字や仮名がたくさん出て来ると思うが、余裕があれば、なぜその字が使われているのか?「それが普通だから」なのか、「わざとこの書き方をしている」のかを調べたり考えたりしてほしい。そのベースとなるのは、標準的なひらがな・カタカナと教育漢字なので、本気で知りたい人はまず、それをしっかり身につけることをおすすめする。

 結局またاوشينがあとまわしになってしまった(笑)
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 23:59| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする