2018年01月14日

活けまして、弓得とうございます

 今朝こんな記事を目にした。

センター試験地理「ムーミン」出題が話題 不正解受験生嘆き ムーミン公式「反省」



 この記事だけだと要するにセンター試験の地理でムーミンが出題されて、ムーミンのアニメは𝟏𝟗𝟔𝟗年﹦昭和𝟒𝟒年のものだから今の人にとっては古いかも知れない、現に不正解だった人達が不満をあちこちに書き込んでいたと様子を伝えている。その騒動についてはここでは触れない。他ですでに話題になっているだろう。情報処理の話題として好都合の例だったのでその点について触れる。

 センター試験は難易度や範囲がよく調整されていて、学力を問うのには悪くない。次期新型試験では記述を増やす予定だが、それは選択問題の欠点を補うための措置で、意図はわかるが、二次試験で対応すればいいこと。本来センター試験でやるべきこともないとは感じる。現に、国立大学は記述の重点を二次試験に置いて、共通試験では軽めの出題を選択する予定らしい。問題は私学を中心にセンターのみの点数で合否が決まってしまうことだろう。結果、共通試験でも記述を入れざるを得ない。

 選択式の問題でも、正解の数が𝟏つとは限らないような形に変えるらしい。これは選択式の問題に慣れ過ぎると、選択肢の中に必ず正解がある、あるいは選択肢を限定的に用意し𝟏つずつ潰していけば自動的に最後に残ったものが正解だという発想が身についてしまうことへの反省かも知れない。実際、そういう発想をする人と接したり、言動を見聞きしたりする機会はあって驚かされる。私は学校の試験や受験勉強をつまらない行事・通過儀礼程度にしか考えていなかったが、想像以上に影響されている人がいるのかも知れない。しかし、本来これは普段から様々な形式の問題や思考法に触れることで防げることなので、本当はセンター試験に責任はない。学校・塾・予備校、そして何より考えずに反射的に慣らしているだけに終わった受験生本人の失態でしかない。以前話題にしたバッティングセンターで球を打ち返してるだけの状態というやつ。

 既存のセンター試験のような形式でも、問題に対する接し方𝟏つで情報処理の訓練はそれなりに可能で、その良い事例がセンターや模試の解説によく出て来るので話題にしてみたいとは思っていたのだが、昔の資料が手元にもう無いし、今更本屋に問題集を買いに行くつもりもないのでこのブログはもちろん、私的な日記でも今まで話題にできなかった。しかし今回、ムーミンの問題で話題になってちょうどいい。

 最初に挙げたニュース記事だけだとどのような問題なのかがわかりにくい。おそらく

平成𝟑𝟎年度本試験の問題﹙𝟐𝟎𝟏𝟖年﹦平成𝟑𝟎年𝟎𝟏月𝟏𝟒日現在は未開設﹚」


で近いうちに公開されるだろうが、これを書いている時点ではまだなので、別の場所に公開されていたものを紹介する。

平成𝟑𝟎年度大学入試センター試験本試験地理𝐁問𝟒


 記事を読んだ時点では問題文をみてみないと何とも言えないと思ったが、ついていたコメントに画像がはられていて助かった。これ、ムーミン関係無い。スカンディナヴィア𝟑国半島でフィンランドだけが民族的に例外なのは高校地理歴史の基礎事項。これさえ知っていれば、言語が似ているので𝐀が脱落する。次に歴史的にスウェーデンがこの地域の中心で、ヴァイキングの伝統が出て来るのも高校地理歴史の基礎事項。フィンランドが例外で、スウェーデンと歴史的に近い国という点から、絵をみたらがノルウェーなのがわかるのでが脱落。結果的にムーミンが残るだけ。ムーミンを知っているか否かの話になっている記事や一部の人たちはこの点で教科書的基礎事項が欠落しているか、情報処理力に問題があるということになる。中𝟏でも𝟑学期なら学校によってはもう習っている知識で十分解けている可能性がある。

 だが、解けたか否かより重要なのは考え方の過程で、ムーミンを知っているか否かという点に注目して話題が展開していく発想が問題になってくる。知らないと解けないのは当然・知っているからできたに違いない・できるのは知っているからだ・年齢的に知っているはずがないから調󠄃べてきたに違いない……この問題を正解した人物・正解できなかった人物に対してそのような分析をする人達が間違いなく出て来る。これは心の専門家としての学位や資格の有無に関らず、また学歴の高低に関わらず。直感的にそういう発想が出てそちらに誘導されてしまう情報処理の人と、場に出された情報を最大限使って考える・どう活かすか考えて、知らなくてもできることを考える、わかることを集めていって消去法的に絞っていく人がいる。後者の能力は情報処理において非常に重要で、既存のセンター試験程度のありふれた問題形式でも暗記で手抜きしなければ十分身につけることができる。そういう例がしばしば出題される。解答解説集ではたいてい、全ての選択肢でなぜ合っているか、なぜ間違っているかが記されているので、それを読んで、自分でも説明できるようにすれば、自然と選択肢があろうがなかろうが、𝟏つだろうが𝟏𝟎個だろうが、同じような過程でものを考えられるようになるし、そう考えることに負担は感じなくなるので、ぜひ手抜きをせずにやってほしい。そのために時間や手間を使い、当たる問題数が少なくなってもそれは決して悪いことではない。少なくとも入試よりあとのことを考えるなら。目先の点数より優先できるかは結局その人の覚悟になってしまうのが今の教育の問題点ではある。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 23:59| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする