2017年12月26日

戸部か能登郶か、それが問題だ

 以前「暗記をせずに成績を上げる方法」という話題をしたさい、
他に、日本の学校教育では触れないものの知っておいて損のない文学もあるが、また別の機会に触れる。

とちらりと書いた。それについて触れる。

 𝟔月の話の続きをなぜ今触れるかというと、𝟏𝟐月𝟐𝟑日の「竜王𝐯․マングース」や𝟏𝟐月𝟐𝟓日の「英語の歌と幼児教育」でそれと関係がある話が出ているから。元々、遅くても𝟏𝟐月𝟐𝟓日にはクリスマスの話題を出すだろうから、触れることにはなるだろうと頭にはあったが、𝟏𝟎月に糸井さんのサイトをのぞいた時も、触れていいかも知れないと感じる機会はあった。この𝟑つ、話題は全て違うのだが、「日本の学校教育では触れないものの知っておいて損のない文学」という点では共通する。

 直近の話題から採り上げるが、キリスト教の話題をしている。信じる信じないは横へ置いておくが、キリスト教に触れると物語として聖書の話が出て来る。アダムとイヴの物語やモーゼの十戒、出エジプト、キリストの聖誕や復活などの類がある。こういった話は私の場合、幼児期におとぎ話の一種といった感覚で接しているので、日本で言えば桃太郎やかぐや姫の物語と同列で染み込んでいる。

 小学校に上がってからは小さい頃のそんな物語のことはすっかり忘れていたが、中学以降、歴史の授業で世界史が出始めたり、あるいは西欧の芸術や音楽の話題に触れるさい、小さい頃の「おとぎ話」だったキリスト教関連の話と時々出くわすようになった。その時の感覚はやはり「小さい頃に触れたおとぎ話」程度の、つまりは桃太郎やかぐや姫の話が引き合いに出されているのと変わらないのだが、一方でクラシック音楽や西欧の絵画などの評論・解説を読むと、作品の神聖さや作者の敬󠄂虔󠄀さ等が随分大袈裟に書かれているという印象を持った。宗教と生活との結びつきは昔の方がより身近なので、とりわけあつい信仰心が無くとも自然と出て来る程度の話だし、別に特定の有名な芸術家だから、天才だから取り上げたというわけでもなく、ごくごくありふれた題材だったりもする。最近𝐚𝐮の𝐓𝐕コマーシャルで桃太郎や金太郎、浦島太郎、かぐや姫といった登場人物を題材にしたパロディドラマが描かれているが、あれとやってることは変わらない。そういう「ふつう」の感覚で接することが出来る。『京鹿子娘道成寺』のこともちらりと書いたが、それも同様で、昔の説話であり、それは古典芸能の題材になっているものでもある。高尚なものといった感覚は無い。

 同じことは流星群の話題を少しした部分でも関連している。私は小𝟐の冬にアニメ『セイント せいや
聖闘士聖矢
』の影響から星座に興味を持ち、そこから𝟖𝟖星座の名前は一通り把握するようになった。星座の多くはギリシャ神話と関連付けられているので、星座を知ると、同時にギリシャ神話にも多かれ少なかれ触れるようになる。本を読まない人間なのでアニメを見なければギリシャ神話を知る機会はほぼ無かっただろうが、結果的には星座の知識の一部としていくらか記憶することになる。

 『聖闘士聖矢』の原作漫画は長く連載が続いて、現在でも関連作品が断続的に発表されているようだが、私は最初のアニメが放送されていた2~3年くらいで関心が終わり、漫画の方は断片的にしか読んでいなかったのでそれ以降縁が無かったのだが、こちらもやはりあとになって影響が出てくる。同じく西欧の芸術ではギリシャ神話を題材にした作品がしばしば登場するのだが、解説されなくても題名と画面だけで何の話なのかわかる場合があるし、解説に出てくるような内容は昔触れた物語程度、特に高尚な内容には感じない。場面だけでなく出て来る人物名も、普段の日本の生活では馴染みがないものだが、慣れているので違和感はなかった。先日話題にしたアルゴ座はアルゴ船の冒険の話があって、そこにヘルクレスやカストル、ポルックスといった人物も出てくるし、神話ではゼウスやアポロンといった神々の名前も何度も出てくる。

 𝐓𝐕ゲームや漫画・アニメの類でもこういった神話や伝説上の名前・設定はしばしば引用されるので馴染みがある人は多いだろう。私もそういったもので名前を知ったケースはいくらかある。しかし、今はまだ現代的なゲームや漫画の知識を前提とした設定や比喩表現はなかなか一般的な評論・解説に出て来ない。ロック音楽の作品や解説には既に登場し始めているので、大学入試の評論や著名な学者の新聞寄稿でマリオやピカチュウが「知ってて当然」の教養として真面目な話の中に引き合いに出されるのは時間の問題かも知れない、あるいは既にそういった事例はあるのかも知れないが。

 ギリシャ神話に関係した話は芸術や西欧古典音楽の解説に限らず、一般的な評論やもののたとえとしてもたまに出て来る。なので教養として知っておいて損のない話なのだが、先程の聖書同様、学校ではまとまって触れる機会は通常ないだろう。キリスト教系の学校なら宗教の時間があるかも知れないし、歴史や国語の時間に先生が別途触れる機会はあるかも知れない。しかし必修ではないので先生次第になってしまう。ここでも、知らない人にとっては何やら難しい話に思えたり、高尚な内容と感じてしまうが、小さい頃に触れたおとぎ話という感覚の人にとっては無駄な障害が無くなる。「ふつう」の感覚であることが大きい・有利なんだなと感じた。

 𝟑つ目が𝟏𝟎月に糸井さんのサイトをみたさい、目に入ったものと関連する。それはシェイクスピア。シェイクスピア作品が好きな人が講義をする講座の宣伝があった。有料だったので私は華麗にスルーしたが、シェイクスピアをあまり知らないものの興味はあり、お金も時間もあるという人は参加してみたらいいかも知れない。英語の文章ではシェイクスピア作品からもたとえ話として人物や表現がしばしば引用される。私はシェイクスピアに関しては触れる機会が無かったが、やはり幼児・児童のうちに物語の一つとして触れて「ふつう」な感覚になっておけばあとあと有利になる。

 ここまでは日本の中で西欧文化圏の話題に触れるさい、知っておいて損のない話だが、世界の中の日本という意味では当然、日本の昔話や古典を知っておくことも、重要になってくる。自称外向の人たちの中には、英語や国際感覚の重要性を説くわりに、その点に関して感覚が希薄だなと感じることがしばしばある。ギリシャ神話やシェイクスピアや聖書の物語は西洋人にとっては知ってたからといって別に何というものではない。「で、あなたの国には何があるの?」と言われて説明できずに恥をかく人もいる。最近ではむしろ外国人でも日本のことに詳しい人がたくさんいる。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 23:59| 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする