2017年11月02日

平時と急場の情報処理②

 昨日の「平時と急場の情報処理」で話題にした話、少し補足をしておく。

 𝟐つ挙げた表のうち、一つは「意図的に変える場合」で、例としては火事での対応を出した。表内では「単法」「複法」と分けている。詰まり、処理方法が𝟏つか𝟐つ以上かということ。別の例を挙げれば、家から目的地へ行く際のルート等もわかりやすい。歩いていくか、自転車で行くか、バイクで行くか、車で行くか、バスで行くか、在来線で行くか、新幹線で行くか、飛行機で行くか……色々とある。在来線だって𝐉𝐑なのかその他の私鉄なのか地下鉄なのか。場合によっては船だってヘリコプターだって選択肢だろう。普段通ってる学校なり会社なりが特定の交通手段に固定されていたとして、もし事故や災害などで止まったり遅延が発生した場合、他のルートに切り替えられるか否か。こういうのもある。実態調査がされた例があるのか知らないが、定期的に通っている場所に対してそういったルートの選択肢を平均的にはどれくらい持っているか?というのは興味深い。東日本大震災の時、首都圏では交通網が遮断されたり大渋滞を起こしたりして、出先にとどまるか、歩いて帰るか選択を迫られた人も少なからずいた。歩いて帰るにしても、出先から自宅までのルートを知らないという人もいる。スマートフォンがあっても充電が出来なければそれほど長くはもたない。選択肢の豊富さが必要な事例ではあったろう。

 こういった事は普段からのちょっとした心がけや環境で随分変わってくる。同じ目的地でも違った方法を幾つも試したりしていると、自然と選択肢は増えるし、附随して得られる情報も多い。もっと大きいのは発想として「一つじゃない」「他の方法も試してみよう」といった柔軟性が「ふつう」「当たり前」の感覚として定着する点にある。

 行動の具体的な指針以外でも、複数の手法を持つことは可能。例えば、几帳面な人がわざと大雑把にやってみることで、「慣れ」を獲得すれば、本来的には几帳面でも状況に応じて大雑把なやり方にも対応出来るようになるし、逆に大雑把な人が几帳面なやり方を会得すれば、使い分けることも出来る。情報処理力や行為のスピードを上げても、細かいことに拘る性格ならその迅速性を最大限に活かせないかも知れないが、意識的に切り替えることが出来ればわかっててやり過ごすことも出来るので更に効果が増す。「大胆かつ繊細」という表現があるが、両方の視点・習慣を身につけると、その領域に近づくことになる。性格の切り替えとでも言った方が良いのかも知れない。人格障碍と違って無意識・制御不能というわけではない点が優利になる。大人になってから身につけるのは柔軟性や時間の問題でひょっとしたら難しいのかも知れないが、それでも多かれ少なかれ人間は切り替えをして生活しているので、機会があればやってみたらいいと思う。子供であれば、素質が無い人でない限り、時間を掛けたら出来るようになるだろう。日本の伝統では「ケジメをつける」という言葉があるが、切り替えを自然と身につけることを意識するには便利な言葉だと思う。近年は「楽しくなければ」「自分らしく」という事が強調される事も多いが、モノマニア許り育ててもリーダーは増えないし、社会も上手く回らない。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 00:38| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする