2017年10月19日

推特長文版構想

 個人的に普段文字を書く対象としては、大きく3つある。

 1つはその日あったこと・感じたことを主に時系列で思うがままに書くものでネット上には上げていない。テーマや表記は限定していないので公開しても他人には読み難いだけだろう。読者は将来の自分を想定して書いている。

 もう1つは日記で採り上げるほどの内容じゃないが、ニュース記事や誰かのコメントを読んだ時に思ったことを書いておくメモ。掲示板やツイッター等で書き込まれているレスポンスやツイートの類と同じものだが、実際に書き込んではいない点が異なる。やはり他人や書いた本人が目にするとなると最低限の表記・表現の調整や礼儀は必要になるので、わずかであっても時間が増える。私は馬鹿とか死ねとか書いたりする事は無いが、直言・正論・正確な情報であっても相手次第では暴言と同じ効果を持つので、あまりにレベル差がある場合にそれを放つのは、武道の有段者が素人相手に暴力を振るったり威嚇してみせたりするのと変わらないと思う。知的暴力とでも言おうか。なので己の実力をわきまえず傍若無人なふるまいをとっているとかでない限り口を出したいとは思わない。かといってそれをいちいち区別するのも面倒だし、誰かに読んでもらいたいとか返事を貰いたいというのが目的でもないので、ネット上には書き込まずに記事のファイルに書き込んでいる。

 オフラインのメモに転向したのは、より自由・気楽・迅速に書けるからという理由が主な柱の1つではあったが、初期の頃は特に場所を決めず適当にメモ帳などのテキストファイルに書いたりしていた。しかし𝐏𝐂のトラブルで消えてしまったり、保存し忘れたり、そもそも書かなかったりと不定だった。その時思ったことは思ったものの日記で採り上げていないことで、あとになってから「あれっていつの話だっけ?」「何の話でそう思ったんだっけ?」となり、日記を検索したり読み返したりしても出て来ないということが時々起こるようになる。日記でさえ何年も溜まってくると流石に検索は時間がかかるし、検索キーワードの選定も上手にやらないと大量に抽出されたり、絞り込んだら逆に全く出てこなくなったりと難しい。

 そんな訳で、特定の場所に決めてメモを書き始めたが、今度は元ととなる記事と思ったことを書いた場所が離れていたために、あとから用が有って見直しても、自分が思った内容から元記事にある情報を求めることができない不便を感じ始める。結局、記事に附随させてコメントを入れるようになった。原則、読んだ記事は全て保存している。

 保存したものは、専用ブラウザに溜め込んでいる場合管理がしやすいものの、方々のニュースサイトの記事だと個別のファイルになるので、その分類や保管も面倒になる。量は大したことないが、ジャンルがバラバラなので。せっかくためてあってもバックアップをとる前󠄃にトラブルで消えてしまったということも何度もある。メモ程度だから消えてもしょうがないかと軽く考えていたが、やはり量が溜まってくると日記なのかメモなのかが分かりづらくなってくる。

 更に、自分が読むためものものだから自分がわかればいいということで読み易い表記を導入したり、通常は使われないような記号や文字もどんどん入れていったせいで、保存コードの問題が出てきた。これはメモをとる以前の、日記やその他の文書でもずっと問題になってきたことだが、手書きでは簡単に書ける文字や記号がPC上となると途端に難しくなる。かといって特殊なソフトやフォントや画像ファイルを使うと、無駄にデータ量が多くなったり、更新の継続性・一貫性・ハードのスペックといったもので面倒が出て来る。結局テキストとユニコードで扱うのが一番簡単かつ汎用性・永続性があるとの判断なのだが、これもなかなか色々問題があって困ってはいる。

 日本のソフトは漢字を多用するので対応が速そうに思えるが、20世紀から使われているJISコードが逆にあだとなって、追加される世界中の文字に対する対応は遅い。せっかくエディタやブラウザで文字が扱えるようになっても、ファイルエクスプローラー等の検索では出て来ないとか、メールでは送れないとか色々ある。𝟐𝟎𝟏𝟕年﹦平成𝟐𝟗年𝟓月に何度か話題にしたようなキーボードの話もその一種になるし、「第2部首を使った漢字変換用システム辞書ファイル6&自称実用全苗字システム辞書」で話題にした𝐈𝐕𝐒等もそう。

 そういえばオフィス2010でのIVSに対応するアドインというのが公開されていたが、既に手元に同じものがあって使っていなかったことがわかった。なぜ使っていなかったのだろう?と確認してみたら、IVSそのものを表示しているのではなく、文字コードの私用領域という、端末ごとに自由に使える場所に文字を登録して一時的に利用するという方法だった。この方法だと違う端末では通用しないことになるし、同じ端末でも文字をコピーして他で使うことができない。ウィンドウズ10のアプリとして利用可能なエクセル・モバイルでもIVSは直接表示が出来なかった。なぜ対応していないのかよくわからない。いずれにせよ、私にとってはこういう制限はストレスになるので、日記やメモを記録する媒体としては使えないとなる。

 最近知ったところでは、グーグルのGメールの名前も漢字制限があるということ。ユニコードの異体字は登録時に問題なくてもあとで名称変更をしようとすると消えてしまうらしい。グーグルは文字への対応が早く柔軟で、グーグル検索では特殊な文字でも気にせず使える点を評価していたのだが、全てのサービスが同様というわけでもないらしい。グーグルIMEの変換候補も登録単語を無作為に組み合わせて存在しない熟語を大量に生成したり、利用頻度の高い一般的な表現が後ろの方に配置されたりと、登録単語を増やせば増やすほど不便になっていくことが分かってきた。囲碁用の人工知能は頭が良いのかも知れないが、日本語の変換には役に立っていない。

 特定の場所に特定の様式でメモをたくわえる方法がようやく固まってきたのがこの数年だが、その貯めたメモもまた大量になってきて、検索も保管も面倒になってきた。日記のデータと場所が分散しているし、その上最近はこんなブログまで始めてしまったので、さらに分散することに。先に一度3つ目を書いておくが、日記・メモとならんで書いているのがこのブログ。まだ量は少ないが、これもそのうち大量になってくるだろう。一応書いたものは手元の日記にも貼り付けてオフラインでも読めるようにはしてあるが、誤字脱字を見つけ次第訂正している関係で、日記に貼り付けたものが最終稿の状態じゃなかったり、漏れがあったりで最近面倒になってきた。

 そんな訳で、メモを日記の場所に併合するか、ブログに併合して一種のクラウド保存にするかして管理を簡素化するというアイデアを今さっきふと思った。クラウドだと容量は気にしなくていいが、それでも無料で使えるのは𝟓㎇ほどなので、動画や静止画が絡んだ場合はあっという間に無くなるおそれもある。また、ブログにメモとしてどんどん貼り附けていくとして、公開するか非公開にするか、同じ場所にするか異なる場所にするかという問題もある。シーサーブログは1つのアカウントで複数のブログを開設することが可能なので、分けてもかまわないが、そうすると検索の手間など結局今迄と変わらないかもしれない。ちょっとしたアイデアを含んでいたりもするので公開して他人の役に立つ場合もあるかも知れないとは思うものの、普段書いてる話と違って書式は気にしないので、読む人にとっては唐突で意味不明だったり乱暴な話に感じたりする可能性もある点が難しい。誤字脱字は直さないし、他人が読んだら誤解するような省略も私がわかれば問題無いので補足はしない。一応記事ごとに公開非公開の設定は選択可能みたいだが、一々設定するのも面倒臭いし、そのうち間違えるのは目に見えている。ログインして投稿するのも面倒なのでメール送信を利用した投稿にしようかと思ってもいるし。この方法だと細かい投稿設定ができないようではある。

 メモの場合は表記を気にするつもりもないので他人が見てもわからないという点も公開の場合問題になる。「他人には読み難いけどもし読みたいと思う人がいれば読めばいい」という考え方もあるので少し迷う。ちなみにこの文章を普段日記で書いている表記で書くとこうなる。

 メモの場合は表記を気にする積もりも無いので他人が見ても解らないと云う点も公開の場合問題になる。「他人には読み難いけど若し読みたいと思う人が居れば読めば哿い」と云う考え方も在るので少し迷う。因みに此の文章を普段日記で書いて居る表記で書くと此う柰る。


 普段の文章でも読む人によっては「漢字がいっぱい」と感じるだろうが、少々自信のある人でもこれは引っ掛かると思う。こうする理由は簡単で、慣れるとこの方が読みやすいから。これは識字障碍や読解のコツといった話とも関連するので、情報処理のテーマでまたそのうち話題にする。

 漢字や記号に関して、このシーサーブログはユニコードも問題無いようだし、メモの場合それほどこだわっていないが、単語登録してると自然と細かい使い分けをしてしまうのでその点がどうなるかはやってみないとわからない。IVSに関しては以前テストしてみたが、𝐈𝐏𝐀𝐦𝐣明朝フォントさえ入っていれば、「服&xE0103;」といった表記が可能なのはわかった。つまり

 服󠄃 と  

の区別は可能。先月名字の番組で紹介されていたような縦棒の無い「鬼」も

九鬼󠄂


となる。これで元々は[くかみ]と読んだらしいが、たくさんの名字を扱ったデータベース・サイトでも触れられていなかった。五鬼の名を持つ苗字に関しても、江戸時代の釣り鐘には

gokiguma.jpg gokijo.jpg

と彫られていた。五鬼熊[ごきぐま]と五鬼助[ごきじょ]のことで、五鬼熊はもう断絶して存在していないらしい。五鬼助は現在もいて𝐓𝐕でも紹介されていた。この点についても情報処理の話題と関連するのでまた別途話題にする。

 そういうわけで、どういう形にするかまだ決めていないが、ある日突然わけのわからない文字の塊が投稿されていても、メモだなと思って無視してくれたらいい。興味があったら読んでもいいが、表現の機微が気になって感情が制馭できなくなるレベルだと向いていない内容になるかも知れないので、読む人を選ぶものだと予め了承しておいてほしい。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 19:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする