2017年10月15日

読み難い文章と読み易い文章

 前回更新が𝟔日なのか。もう𝟏𝟎日近くも経ってしまっているな。

月に𝟏𝟎回くらいは書こうかな?なんて𝟗月初旬に漠然と思い立ったら、早速𝟗月に𝟏𝟎回満たなかった(笑) 今月ももう半分なのにまだ𝟏回しか書いてないんだな。こりゃいかん。ネット上にあげていない日記は毎日書いてるし、ダラダラ思った事を書くのは私の場合造作もないことなので苦ではないが、テーマを決めてある程度制限つきで書くのは、仕事でも宿題でも試験でもないとなるとなかなか身が入らないもんだな。それを考えると短文投稿サイトや掲示板、ブログの類に瞬間的な思いを書き連ねても文章力は上がらないだろうなとも思う。書ける人が手抜きや連絡で使うには問題無いだろうが、ある程度まとまった量・テーマの文章をそれなりの水準で書けるようになっていない人には足かせになるやも知れない。

 近々閉鎖されるらしいサイトの保存中なので空き時間に何か書いていこうか。ブログや特定のホームページ、𝐒𝐍𝐒などの類を定期的に閲覧している人は平均的に幾つくらいを巡回の標的にしているのか知らないが、個人的には現在𝟐つ𝟑つといった具合。多い時でも𝟓つくらいだったのだろうか?ちゃんと数えた事はない。管理者が更新しなくなったり閉鎖したりして読まなくなった場合もあれば、私が読んでいる中でこれ以上読んでいてもあまり有益じゃないかなとやめる場合もあるし、𝐏𝐂のトラブルなどでブックマークのデータがなくなってしまい、場所がわからなくなったまま再び探すことなく放置した場合もある。初期の頃は読んでいることを伝えたりしてコミュニケーションを取っていたりもしたが、そのうち面倒になってただ単に閲覧するだけになってしまった。世間が𝐒𝐍𝐒だのネットでの出会いだの繋がりだの言い出したのはそのあとで、個人的にはなんだか既に過ぎた流行に今更感があるなぁと感じた。小学生の時に遊びでやったことを大人になってから仕事で、しかも子供の時よりもレベルを落としてやらざるを得ない時の虚しさと似ているかも知れない。

 前回は2012年に当時ネット用に使っていたパソコンがHDDのトラブルから使えなくなってしまい、持っていたバックアップも間違って消してしまった関係でブックマークが分からなくなり、定期的に読んでいた幾つかのブログもそこで途絶えた。再び探すこともなくブログの類は5年ほど読んでいなかったが、今年の冬ぐらいに何か検索の途中だったかで出くわしたブログを読むようになった。春にはツイッターやフェイスブックを試験的に使ってみた際、何を表示させようか思いつかなかったのでトップページから適当にたどってるうちに茂木さんのページにたどりつき、ブログもあったのでブックマークに入れてみた。この𝟐つで固定。他にもサイトやページはあったけど、近年はツイッターの様な短文投稿サイトやインスタグラムのような写真投稿サイトが流行っている関係で文章として読み応えのあるものが少なく、写真並べただけのページを見ても「で?」としか思わなかったりする。私は本質的に字を読むのは嫌いな人間だが、嫌いなりに「慣れ」の水準が少しずつ上がっていったせいか、読むなら読むである程度の量は欲しいと感じる。量というよりはその人の考えが感じられるものを好んでいるのかも知れない。写真だけなら画像検索でもいくらでも出て来るのでしいて用が無い限り見ようとは思わない。文章にしても、何か情報を探している時はそれ専用で検索をしているし、ニュースはニュースで別途に読んだり耳に入れたりはしているので、それ以外の何かってことなのかも知れない。読みたいものが無いなら無いでかまわない。字を読むのが本質的に好きじゃないということは、ネットが無くても苦にならない人間でもある。

 こうして経緯を書いているのは、自分が読むと決めた文章と、そうでない文章との違いについて何か思い当たることがあるかな?ときっかけを作っている為だったが、どうもよくわからない。最近𝟐つ目のブログが入れ替わったのだが、その新しいブログを読んでいての違和感の理由がはっきりせず少し気になっている。

 茂木さんのブログをたまにここで引き合いに出したりしているが、私は同じテーマでも違った感覚を持つことが多い。それ自体は普通のことではあるが、あまり特定人物のブログばかり対象にしてああでもない・こうでもないとここで書いてるのも失礼だし、ネット上で特定人物の誹謗中傷をすることが趣味でもないので、誹謗中傷のような感情的非難ではないにしても同一人物の話題が連続してしまうのはバランスに欠くかなと思うようになった。彼やブログの基本的な性格はもう把握出来たので、そろそろ閲覧をやめようと思うと同時に、他の新しい閲覧先を見つけようかな?と思っていた。そんな時、たまたま𝐓𝐕で名前を挙げているのを耳にしたのが糸井重里さんで、なかなか変わった面白い発想する人らしい。確かサイトを持っているのは以前話題になっていたよなと思って探したら、公式サイトに更新頻度の高いエッセーがあった。なので巡回対象の候補としてしばらく読んでみることにした。

 数日読んでみて何か違和感を感じるというのが率直な感想。内容がではない。文章が。何故か文章が読み難い。量が長過ぎるわけでもないし、テーマが特殊というわけでもない。専門用語が散りばめられているわけでもない。人物そのものを把握するほどまだ沢山読んでいないので性格的に合う合わないとかそういう話ではない。何なんだろう?ここで文章の読みやすさとしては茂木さんの方が圧倒的に上だったことに気づいた。彼は説明も無く専門用語を当然のように使ったりはするし、突然癇癪を起こしたりもするが、文章自体は私には読みやすい。すっと感覚的に入ってくる。

 糸井さんのサイトは前世紀から続く老舗で読者も多いらしいし、彼はコピーライターとして有名らしいので日本語の扱いが不便というわけでもない。奇をてらった言い回しもしていないし、文法的に間違っているというわけでもない。目下不明。しばらく理由を考えてみたいと思う。読み難い理由を考えるために文章を読み続けるなんてのは初めての経験かも知れない(笑)

 ちなみに糸井さんは有名なコピーライターであるらしい程度にしか私は知らない。どういう経歴の人で、具体的にどんな仕事で有名なのかはよく分っていない。個人的には𝐓𝐕でコメントしてる人程度の印象かな。最初に名前を知ったのは多分𝟏𝟗𝟗𝟎年代前半の『マザー𝟐』というゲームソフトの宣伝の時だと思う。彼が関係していたような気がするが、詳細は知らない。そのゲームもやったことがないが、𝐂𝐌の歌はよく覚えている。



 𝟏𝟗𝟗𝟒年﹦平成𝟔年𝟎𝟖月𝟐𝟕日発売らしい。やったことないわけだ。スーパーファミコンは持っていなかったので。

 ・・・一応ウィキペディアで略歴は読んでみた。どこまで合ってるのかはわからないが。『マザー』シリーズは彼が手がけていたよう。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 05:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする