2018年08月28日

解らない事への耐性

 「効率(こうりつ)の悪(わる)い言葉(ことば)の使(つか)い方;おぼえ方½」で話題(わだい)にした「解(わか)らない」状態(じょうたい)に対(たい)する耐性(たいせい)という話(はなし)に関連(かんれん)した話題(わだい)があったのでそれをと思(おも)ったが、何年(なんねん)か前(まえ)に写真(しゃしん)も撮(と)ってあったなと他(ほか)にいろいろと関係(かんけい)する話題(わだい)を思(おも)い出(だ)したのと眠(ねむ)いのでとりあえずそれはおいておき、簡単(かんたん)な話(はなし)として

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という話題(わだい)で
ニュースソース検討中(けんとうちゅう)@自治(じち)議論(ぎろん)スレ<><>2018/08/15(水(みず)) 04:17:49.62 ID:dwyn25rf<> 実際(じっさい)の仕事(しごと)では無限(むげん)に時間(じかん)があるといっていい。閃(ひらめ)きがあり深(ふか)く熟考(じゅっこう)できる若者(わかもの)を育(そだ)てたい。そういう人間(にんげん)が育(そだ)つ教育(きょういく)環境(かんきょう)とはどういうものなのだろうか?


という問題(もんだい)提起(ていき)があったのを先日(せんじつ)目にしたのでちょっと乗(の)っかって簡単(かんたん)に触(ふ)れておくと、𝟏(ひと)つは性格(せいかく)的(てき)な向(む)き不向(ふむ)きがある。どうやっても駄目(だめ)な人(ひと)は駄目(だめ)。すぐに飽(あ)きてしまう。𝟐𝟎代(だい)くらいまでなら年(とし)を取(と)るに連(つ)れて集中力(しゅうちゅうりょく)や持続力(じぞくりょく)は上がるが、それでも大人(おとな)としては相対(そうたい)的(てき)に低(ひく)いまま、子供(こども)と変(か)わらない人(ひと)はいる。そういう場合(ばあい)は無理強(むりじ)いしてもしょうがない。

 向(む)いている人(ひと)と環境(かんきょう)次第(しだい)でできるようになる人(ひと)に関(かん)しては幼児期(ようじき)から時間(じかん)をかけてものを考(かんが)えさせる習慣(しゅうかん)を身(み)につけるというか機会(きかい)を設(もう)ける事(こと)は必要(ひつよう)。「優(すぐ)れた能力(のうりょく)も機会(きかい)無(な)くしては取(と)るに足(た)らない」ではないが、時間内(じかんない)に正解(せいかい)を出(だ)すとかゴールするといった事(こと)ばかりやらせていると、すぐには答(こた)えが出(で)ないものがあるとか時間(じかん)を掛(か)けて解明(かいめい)していくといった発想(はっそう)が身(み)に付かない。できるかできないかよりそういう発想(はっそう)が「ふつう」の事(こと)として持(も)てない状態(じょうたい)になってしまうのが一番(いちばん)問題(もんだい)になってくる。

 幼児期(ようじき)に迷路(めいろ)やパズルや折(お)り紙(がみ)などを好(す)きでちょくちょくやっていたが、たまにどうやれば良(い)いのか解(わか)らなくて𝟑日(みっか)考(かんが)えてもできないから忘(わす)れて一週間後(いっしゅうかんご)にもう𝟏回(いっかい)やってみたらできたなんて事(こと)はあった。幼児(ようじ)がやる程度(ていど)のものだから無理(むり)に考(かんが)えなくてもできる大人(おとな)を呼(よ)んで来て解法(かいほう)を教(おし)えてもらい訓練(くんれん)すればものの数十(すうじゅう)秒で終わる話(はなし)だし、一度(いちど)できてしまえば、あるいはできないまま諦(あきら)めたとしても𝟏年(ねん)後にはどうしてこれで悩(なや)んだんだ?というくらいになっている程度(ていど)の内容(ないよう)でも、幼児(ようじ)にとっては大(おお)きな壁(かべ)になる。そういうのを知(し)らずに育(そだ)った大人(おとな)に限(かぎ)って達成感(たっせいかん)がどうとか言(い)って比喩(ひゆ)ではなく本当(ほんとう)に幼児(ようじ)水準(すいじゅん)の体験(たいけん)を大金(たいきん)払(はら)って給料(きゅうりょう)もらいながら研修(けんしゅう)したり、仕事(しごと)が終わったあとに忙(いそが)しい合間(あいま)を縫(ぬ)って塾通(じゅくがよ)いし、「私(わたし)は成長(せいちょう)した!」とやっていたりする。そして付(つ)け焼(や)き刃(ば)で血肉(ちにく)になっていないから一月後(ひとつきご)には忘(わす)れている。慣(な)れている人(ひと)はもう、解(わか)らない;できないのは当然(とうぜん)でそこからいかに何(なん)らかの答(こた)えを導(みちび)き出(だ)すのかという段階(だんかい)で物事(ものごと)に取(と)り掛(か)かっているわけで、想定(そうてい)する時間(じかん)の幅や試行(しこう)の選択肢(せんたくし)、議論(ぎろん)の内容(ないよう)が異(こと)なっている。これは「図(ず)に描(か)く;文字(もじ)で書(か)く②」とか「♪呼吸(こきゅう)を止(と)めて 鼻(はな)を摘(つま)んで 口(くち)を塞(ふさ)いで テープで留(と)めて 落(お)ちた涙(なみだ)も 見ない振(ふ)り~」で触(ふ)れた話(はなし)とも関係(かんけい)している。

 ただ、小(ちい)さいころから「ふつう」の事(こと)としてやると、「ふつう」じゃない家庭(かてい);教育(きょういく)環境(かんきょう)の中で育(そだ)った人(ひと)とはあまりに差(さ)があり過(す)ぎて、「すぐに正解(せいかい)を教(おし)えてもらって暗記(あんき)する、それが無(な)ければできないのが当然(とうぜん)」という人(ひと)が多(おお)い集団(しゅうだん)では会話(かいわ)が通じなくなる点(てん)が問題(もんだい)になる。何(なに)も提案(ていあん)が出(だ)せないか出(だ)しても水準(すいじゅん)が低(ひく)くなるので。「閃(ひらめ)きがあり深(ふか)く熟考(じゅっこう)できる若者(わかもの)を育(そだ)て」る事(こと)が本当(ほんとう)に良(い)い事(こと)なのか?という問題(もんだい)はあろう。世(よ)の中(なか)のほぼ全(すべ)ての仕事(しごと)は恐(おそ)らく閃(ひらめ)きや深(ふか)い熟考(じゅっこう)を必要(ひつよう)としていない。ごく一部(いちぶ)の特殊(とくしゅ)な職業(しょくぎょう)や立場(たちば)の人(ひと)だけ。だから話題(わだい)になる。当(あ)たり前(まえ)だったらもてはやされたりはしない。

 ちなみに嫌負(けんぷ)障碍(しょうがい)の人(ひと)は後手(ごて)に回(まわ)って目先(めさき)の言(い)い訳(わけ)で反撃(はんげき)をし優位(ゆうい)を取(と)ろうという単純(たんじゅん)な思考(しこう)がパターンとして多(おお)くみられるので、この手(て)の話(はなし)を出(だ)すと「自分(じぶん)で考(かんが)える」﹦「一人(ひとり)でやっている」➝「仲間(なかま)と一緒(いっしょ)に相談(そうだん)してやるべきだ」➝「コミュニケーション能力(のうりょく)が無(な)い」という形(かたち)で逃げようとするので、最初(さいしょ)からその程度(ていど)の事(こと)は想定(そうてい)しておいた方が良(い)い。現実(げんじつ)としては、共同(きょうどう)でやったり他(ほか)の人(ひと)も巻(ま)き込(こ)んでやったりもごく日常(にちじょう)的(てき)に経験(けいけん)してきているが、三人寄れば文殊(もんじゅ)の知恵(ちえ)とは限(かぎ)らず結論(けつろん)が出(で)ないものは出(で)ない。その中でも当然(とうぜん)考(かんが)える必要(ひつよう)が出(で)てくるので、幼(おさな)い発想(はっそう)の遁(に)げ口上(こうじょう)にしかならない。

 また、共同(きょうどう)でやっても途中(とちゅう)で脱落(だつらく)する人(ひと)が出(で)る。そして当事者(とうじしゃ)の意思(いし)に反(はん)して時間(じかん)や機会(きかい)や場合(ばあい)によっては道具(どうぐ)などが自由(じゆう)に使(つか)える状態(じょうたい)ではないという現実(げんじつ)も出(で)てくる。「仲間(なかま)と共同(きょうどう)」とか「リーダーシップを発揮(はっき)して」とか「達成感(たっせいかん)」といった新(あたら)しい流行(はや)りの言(い)い回(まわ)しを突然(とつぜん)使(つか)い始(はじ)めた人達(ひとたち)はそもそもそういう事(こと)を経験(けいけん)しておらず想定(そうてい)する力(ちから)も無(な)いか、経験(けいけん)しても考(かんが)えに及(およ)ばないか、真剣(しんけん)に考(かんが)えていないので、言動(げんどう)の中にこの手(て)のパターンへの対処(たいしょ)は入(はい)っていない。その点(てん)は注意(ちゅうい)がいる。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 23:59| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする