2018年08月18日

ゑいのためとしてゐをするとなしたり⑫

 善知鳥(うとう)さんがブログで𝟏𝟗𝟒𝟓年(ねん)﹦昭和(しょうわ)𝟐𝟎年(ねん)𝟖月(はちがつ)𝟏𝟓日(じゅうごにち)当時(とうじ)の話題(わだい)をしている。

夜話(やわ) 2075 島根県立(しまねけんりつ)太田(おおた)中学校(ちゅうがっこう)


 命(いのち)のやり取(と)りについて書(か)かれた重(おも)い話(はなし)の中で採(と)り上(あ)げるのもなんだが、最後(さいご)に出(で)てくる画像(がぞう)、

九十九(きゅうじゅうきゅう)𛂜白木(しらき)の箱(はこ)
 被爆(ひばく)兵士(へいし)看護(かんご)の記(き)
     松井(まつい)巳生


と書(か)かれている。「𛂜」は変体仮名(へんたいがな)で現代(げんだい)仮名遣(かなづか)いでは「の」に集約(しゅうやく)される。しかし同字(どうじ)という訳ではない。元の漢字(かんじ)は「𛂜」が「能(のう)」で、「の」は「乃」とされる。一(ひと)つの文脈(ぶんみゃく)でなぜ違(ちが)う字が使(つか)われているのか、意図(いと)的(てき)に使(つか)い分けているのか気分(きぶん)の問題(もんだい)なのか、個人(こじん)的(てき)にはまだ知識(ちしき)を得ておらずわからないが、この場合(ばあい)に限(かぎ)らず他(ほか)でも見かける。﹛𝐀並(なら)びに﹙𝐁及󠄃び𝐂﹚﹜のように﹛九十九(きゅうじゅうきゅう)𛂜﹙白木(しらき)の箱﹚﹜といった括(くく)り方の大小(だいしょう)の区別(くべつ)なのだろうか?

 機能(きのう)についてはともかく、字形(じけい)に関(かん)しては現代(げんだい)の日常(にちじょう)にも応用(おうよう)ができる。仮名(かな)文字(もじ)は漢字(かんじ)の草書体(そうしょたい)から来ているので、仮名(かな)を一(ひと)つでも多(おお)く知(し)っているとくずし字の判別(はんべつ)にも役に立つ。「の」は仮名(かな)としてだけではなく、漢字(かんじ)の「乃」でもある事(こと)が判(わか)るし、
「𛂙」が「の」であり「乃」でもある事(こと)も判(わか)る。そして「𛂜」﹦「𛂛」﹦「能(のう)」でもそれは同様(どうよう)。

 さらに身近(みぢか)で便利(べんり)になるのは、「能(のう)」という𝟏𝟎画の漢字(かんじ)を「𛂜」で置(お)き換(か)えればたった𝟏画で済んでしまう点。現在(げんざい)変体仮名(へんたいがな)を織(お)り交ぜて書(か)く事(こと)は普通(ふつう)無(な)いので、仮名(かな)なのか真名(まな)なのかで混乱(こんらん)する事(こと)も無(な)い。中国語(ちゅうごくご)でも「能(のう)」の簡体字(かんたいじ)は用意(ようい)されていない。しかし能力(のうりょく);知能(ちのう);才能(さいのう);可能(かのう);……とけっこう使(つか)う機会(きかい)があるので、知(し)っていると重宝(ちょうほう)する。能(のう)は他(ほか)に𦝕;𮌛;﹝䏍去﹞といった字形(じけい)もある。好(す)きなのを使(つか)えばいい。ただし、現在(げんざい)の常用(じょうよう)漢字(かんじ)である「能(のう)」をおぼえてある事(こと)が前提(ぜんてい)。他(ほか)に手(て)を出(だ)すのはあくまで応用(おうよう)。なお、状態(じょうたい)の「態」に関(かん)しては「态」という簡化字(かんかじ)がある。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 12:29| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

熱中症対策³∕₃

 私(わたし)は水筒(すいとう)には氷(こおり)を入(い)れていた。これは小学校(しょうがっこう)のころから始(はじ)めていた。最初(さいしょ)に使(つか)っていた水筒(すいとう)は魔法瓶(まほうびん)じゃなかったので温(ぬる)くなってしまい、氷(こおり)を入(い)れ始(はじ)めたのがキッカケだが、魔法瓶(まほうびん)でも氷(こおり)を入(い)れておけばそれだけ冷(つめ)たさが持続(じぞく)するし、液体(えきたい)だけの時(とき)よりも冷(つめ)たい。この違(ちが)いは大(おお)きいと思(おも)う。野球(やきゅう)応援(おうえん)の時(とき)は水筒(すいとう)の口近(ちか)くまで最初(さいしょ)に氷(こおり)を詰めて、その隙間(すきま)を埋(う)めるように冷(ひ)やした麦茶(むぎちゃ)を注(そそ)いで準備(じゅんび)していた。ペットボトルではこれができない。家から持参(じさん)する場合(ばあい)はペットボトルも凍(こお)らせる事(こと)ができる。今(いま)は百均(ひゃっきん)でも大型(おおがた)ペットボトル用の袋(ふくろ)が売(う)られているが当時(とうじ)は見掛(か)けなかった。それでもタオルを巻(ま)いておけば保温(ほおん)効果(こうか)も多少(たしょう)は上がる。そして朝冷凍庫(れいとうこ)から出(だ)して球場(きゅうじょう)へ着(つ)くころには程よく融(と)けているので飲(の)めるくらいにはなっている。体(からだ)に当(あ)てても気持(きも)ちが良(い)い。水筒(すいとう)はそれが尽(つ)きてからの出番(でばん)となる。今考(かんが)えたらよくそんなにも飲(の)んでいたなと思(おも)うが、当時(とうじ)はそれでも足(た)りなくなる事(こと)があった。予選(よせん)の時(とき)は往復(おうふく)𝟑𝟎㎞(キロ)ほどの自転車(じてんしゃ)移動(いどう)や、試合(しあい)開始(かいし)時間(じかん)によっては一度(いちど)学校(がっこう)へ行って授業(じゅぎょう)を受(う)けてからの移動(いどう)となるので、その分も考慮(こうりょ)しながら飲(の)まないといけなかった。

 ペットボトルを出先(でさき)で買(か)うとこういう、氷(こおり)の入(はい)った液体(えきたい)の冷(つめ)たさを味わえない問題(もんだい)がある。水(みず)と氷(こおり)はやはり違(ちが)う。体(からだ)に熱(ねつ)が籠(こも)っている感覚(かんかく)を感(かん)じ始(はじ)めたら、氷(こおり)を調達(ちょうたつ)する事(こと)を考(かんが)えた方が良(い)い。コンヴィニで氷(こおり)も売(う)っている。氷(こおり)のまま食(た)べてもいい。また、水筒(すいとう)を持参(じさん)する人(ひと)は氷(こおり)を入(い)れておいた方が良(い)い。あまり冷た過(す)ぎるのも苦手(にがて)な人(ひと)がいるし、冷房(れいぼう)の効く場所(ばしょ)に行(い)くのであれば不要(ふよう)な場合(ばあい)もあるので量は各自(かくじ)考(かんが)えて調整(ちょうせい)するしかない。出かける前(まえ)に氷(こおり)を𝟏(ひと)つ齧(かじ)って行(い)くだけでも体温(たいおん)上昇(じょうしょう)を少(すこ)し抑(おさ)える事(こと)ができる。

 あまり水(みず)ばかり採(と)ると水中毒(みずちゅうどく)になるという話(はなし)も出(で)ている。戦時中(せんじちゅう)、糧秣(りょうまつ)に乏(とぼ)しく餓死(がし)寸前(すんぜん)の状態(じょうたい)で何日(なんにち)も歩(ある)き続(つづ)けた兵士(へいし)達が水源(すいげん)を見つけて好(す)きなだけ飲(の)ませてやると、そのまま亡くなったという生存者(せいぞんしゃ)の話(はなし)を聴(き)いた事(こと)はあるが、血が薄まってしまったからだろう。しかし瀕死(ひんし)の兵士(へいし)も幸(しあわ)せそうな顔(かお)をして死(し)んでいくというので、それが悪(わる)い事(こと)なのか、何(なに)が何(なん)でも止(と)めるべき事(こと)なのかは難(むずか)しいところ。もちろん平時(へいじ)に無駄死(むだじ)にしてもしょうがないので、塩分(えんぶん)補給(ほきゅう)は必要(ひつよう)だが、あまり塩分(えんぶん)を強調(きょうちょう)すると今度(こんど)は血圧(けつあつ)が上がって体(からだ)に悪(わる)い。どの程度(ていど)の塩分(えんぶん)が必要(ひつよう)なのかは年齢(ねんれい)や体調(たいちょう)や普段(ふだん)の生活(せいかつ)によって変(か)わってくるだろうから、これも塩分(えんぶん)補給(ほきゅう)の言葉(ことば)だけが飛(と)び交っているのはちょっと疑問(ぎもん)に感(かん)じる。個人(こじん)的(てき)には当時(とうじ)塩分(えんぶん)補給(ほきゅう)をした事(こと)なんて一度(いちど)も無(な)かった。かといって朝(あさ)から味噌汁(みそしる)を飲(の)んだり漬物(つけもの)を食(た)べたりする習慣(しゅうかん)があった訳でもない。朝食(ちょうしょく)や昼食(ちゅうしょく)の中に入(はい)っている普段(ふだん)通(どお)りのわずかな塩分(えんぶん)だけでも問題(もんだい)は無(な)かったという事(こと)。今(いま)も特(とく)に塩分(えんぶん)を持(も)って出かける事(こと)はない。アクエリアスに入(はい)っている電解質(でんかいしつ)だけで十分(じゅうぶん)。鉄工(てっこう)だったかガラス職人(しょくにん)だったかが作業場(さぎょうば)に塩(しお)を置(お)いてたまに舐(な)めている様子(ようす)は見た事(こと)があるが、炎(ほのお)の傍(そば)で何時間(なんじかん)も接している事(こと)に慣(な)れている人(ひと)がやるくらいの話(はなし)ではある。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 00:49| 情報処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする