2018年10月21日

向上心と反省

「Mステ」新サブMCに並木万里菜アナ、タモリからの助言は「向上心はいらない」


>この間タモリさんにご挨拶にうかがったとき『向上心はいらない。反省はしなくていい』という深い言葉をいただきました。


 計画的で自然体でないわざとらしいのや、ガツガツと出しゃばってくるのが嫌いなんだろうか?それとも変に小慣れて淡々と段取り通りこなしてアリバイ作りをしているだけとか、相対的にポジションが上がって来て態度が大きくなってくるのが嫌なんだろうか?彼の番組や対談している様子などはあまり見た事がないのでよくわからない。

 「向上心」や「反省」の判断は簡単ではない。同じ事をして同じ結果を得たとしても、向上しようと思ってやる人と、手抜きをした人と、何も意図が無いか他の意図があってたまたまそうなっただけの人と、嫌々やった人といる。例えば「外国に行く」にしても、
・武者修行の為に外国へ行った。
・受験勉強が嫌なので推薦;𝐀𝐎枠を狙って外国へ行った。
・船が遭難して外国へ流れ着いたが手続きの問題で帰ってくるまで時間がかかった。
・親の転勤で外国へ連れて行かれた。
・外国へ左遷されて嫌々行った。


 「英語話せます」とか「𝟓年間外国にいました」と一口に言っても背景はいろいろ。ちょうど最近慶応の学生が性犯罪で逮捕され経歴情報も流出しているが、万引きで高校を退学になったので外国へ留学して帰国子女枠で大学へ入ったという話らしい。それが事実なのか私は知らないが、仮に本当だとしても、「英語を学んで世界で仕事がしたいという思いが強く、いても立ってもいられなくなったので高校を中退して外国へ留学しました❢」と言えば、「夢や目標があって実行力もあり英語が話せる優秀な人材」に早変わりするので大学や企業も喜んで受け入れてくれる。受験戦争が激しかったころ、慶応の本試験をまともに受けるより米国に留学させてニューヨークの慶応に入ってから大学へ行けば、「楽に入れる」という事で注目された事があった。別に向上が狙いではない。これは推薦や𝐀𝐎や滑り止めでも同じ話ではある。逆に試験が好きな人や勉強内容が趣味とかぶっている場合は受験自体がついでだったり遊びだったりもする。こういうのはあらゆる物事で発生する分岐なので、ジョージの分析;ハーディの論証に陥る人は山ほど出るだろう。

 私は大学受験の時期に小論文対策を経験しており、その水準が大学以降の内容より高かった為結果的にその後の情報処理に大きく貢献する事になったが、別に情報処理力の向上を狙って対策を始めたわけではない。単に小論使った入試が一番科目が少なくて楽だったから、受験なんてやる気の無い人間にとっては「予習も宿題も暗記もしなくていい」という事で飛びついたに過ぎない。なので一部の「優秀な人材」がやっていたような、予め書く内容をいくつも丸暗記するなんて事は一切していない。文章読んでその場で感じた事を整理して書いていただけ。それでも「少なくとも小論で落ちる事は無い」と言われる程度に評価はもらえて点数は獲れた。

 慶応の話が出たついでなので触れておくと、当時の早慶の小論は𝐒𝐅𝐂を除いて特に難関扱いではなかった。当時は文系だと東大文Ⅰ;京大経済;𝐒𝐅𝐂が難関とされていた。私からすれば小論の比率が高くてむしろ楽という印象だったが(笑) 今はどうか知らない。東大後期論文はのちに前期合格者との入学後の成績差が問題になって廃止の話になっていたし、𝐒𝐅𝐂も私のころよりあとに問題傾向が変わってしまったらしいし。また、東大合格者とて、「受験者の中で相対的に順位が高かっただけ」で、要求水準を満たせていた合格者はそれほど多くなかったという話は聞いた。実際、論文模試でも一部に飛び抜けた成績を出した人がいただけで、それ已外はトップクラスの順位を出しても差は大きかった。

 次期大学入試共通テストでも記述式を導入すると惨憺たる有様で差がつけづらいという話が既に出ているが、これは前世紀の小論や論述から既に分かっていた事だろう。受験者が少なかったので目立たなかっただけ。しかし、慣れの問題もあるので対策が進めばある程度点数は上がる。また、いくら知識や情報を並べても駄目なものは駄目、「あなたは読めていません;書けていません」と点数ではっきり示す事は重要なんじゃないかなと、昨今のネット上の書き込みや情報番組の受け売り発言に接していると感じる。問題は、「偏差値の高い大学に受かったので自分は書ける」と思ってしまう自信過剰が出てくる事だが。先ほど述べたように、受験戦争が今より厳しかった時代の難関とされた小論の合格者でさえ、大学の先生からすれば「まともに読めていない;書けていない」という人が多数で、世間的には優秀とされる早慶は難関ですら無かったのが現実。実際、内容が高度になったり複雑になったりすれば読むのも書くのも難しかった。

 さて、もう𝟏つの話。「反省」にもいろいろある。できなかった;失敗した→①やらない様にしよう。②失敗しない様に遣ろう。③やり方を改良しよう。④別の方法で遣ろう。⑤様子を見よう……等。そして、反省していないが忘れて繰り返す場合もあれば、反省した上であえて繰り返す場合もある。中高の時、襟巻きの着用は禁止だった。理由はかつて自転車通学をしていた生徒の襟巻きが自動車のアンテナに引っかかって首が締まり事故になった事があったからだった。しかし冬は寒い。私は優秀な人材じゃないので、「だったら引っ掛からないようにしよう」と考えて、棚引かないように短く首に巻いた。①なのか②や③なのかの違い。最近はネックウォマーが百均でも売られているが、それだと④になる。しかしそういう事例を知らずたまたま棚引かない様に巻いたりネックウォマーをしている人も出てくるだろうし、本当に引っ掛かるのだろうか?と事故も覚悟であえて棚引かせようと考える人もいるかも知れない。そもそも襟巻きが無くても寒くないという人もいる。これは反省の結果ではない。

 タモリさんの番組はいくつか思い浮かぶが、例えば『ミュージックステーション』は私が歌番組を観始めたころに始まったかと思う。しかし観ていた記憶は無い。金曜日の𝟐𝟎時だと『風雲たけし城』があったと思う。そのあとは何を観ていたのかあまり思い当たるものが無い。大学移行は夕食後にたまに見る事がある。

 『笑っていいとも』は長寿番組として知られていたが、私は結局𝟏本丸々見た事が一度も無かった。学校へ行っていたら給食なのでその時間帯に家にいないというのはあるが、長期休假や学校を休んだ日でも無かった。うちは𝟏𝟐時来たらニュースというか、𝟏𝟏時𝟓𝟑分から天気➝ニュース。家でも帰省した時でも同じだったので、その流れでそのまま𝐍𝐇𝐊がついている事が多く、𝟏𝟑時までにテレヴィを消しておしまい。それで観る習慣が無く、特に見たいとも思わなかった。友達には学校休んだら観ているとか、休暇中でも遊ぶ約束をすると「いいとも」終わったあとでとか途中で一度家に帰って昼食&いいともという人もいたので、名前だけは知っていたが。

 あとは大学入ったころからだろうか、空耳アワーが好きだったが、なんとなくチャンネル回している途中で見掛ける事がある程度でいつやっていたのか、何という番組だったのかずっと知らなかった。『タモリ倶楽部』という番組全体を観る機会が出て来たのはこの𝟏年くらいかと思う。
posted by Marimó Castellanouveau-Tabasco at 17:39| 東京 ☀| 国語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする